【現代語訳】
人の心がすべて顔に集中していると、外部のものに心を奪われて、間違った行動をしがちになる。だから、心を引き締め、これを背中に住まわせて、判断を誤らないようにすべきである。私欲を忘れた自分になれば、外のものに惑わされない真実の自分となる。
【原文】
人の精神ことごとく面に在れば、物を逐いて妄動することを免れず。須く精神を収斂して、諸れを背に棲ましむべし。方に能く其の身を忘れて、身真に吾が有と為らん。
(言志録20)
【解説1】
男の顔は履歴書ということかな?
しかし「心を引き締める」のはわかるが、「心を背に住まわせる」とは全く意味がわからん。
・・・・「今日の言志四録」より。
http://blog.livedoor.jp/irishtimes/archives/40022488.html
【解説2】
人の心は見えないと思われているが、実際のところは十分見えている。心は意志となり、その意志は顔に表れ、とくに目は口ほどにものをいうほどその心を表す。だから「顔つき・目つき」という言葉があり、「顔相」という占いがあるのである。
『七人の侍』や『羅生門』の映画をつくった黒澤明監督が、晩年、時代劇から遠ざかったとき、ある人が「なぜ、最近は時代劇を撮らないのか」と聞いたところ、こんな返事が返ってきた。「ごらんのとおり、いまの役者には引き締まったサムライの顔というのがいません。男優はみんな幼稚な顔になり、女優はみんなどこか媚を売る娼婦になっている」と。そういわれてみれば、役者のみならず、政治家も官僚も大企業の社長も昔の人と比べてみんな卑しい顔になった。
・・・・岬龍一郎「言志四録」
【解説3】
人間たるもの、足るを知れということでしょう。
足るを知るとは、いまあるものに感謝をすることです。
人が幸せであるかどうかは、その持ち物の質や量では決まりません。
一見、貧しそうに見える人でも、心が穏やかであればその人は幸せであり、また逆に他人から見て裕福に見える人が、さらに求める心が強く、いま手にしていないものを嘆いて不幸を感じていたりします。
人は皆、家族・友人・同僚といったかけがえのない宝物を有しています。
そのことに気付き、感謝の気持を抱くことができれば、心穏やかとなり、真実の自己を見つけることができるのだと、一斎先生は言います。
そうしたことを、「精神が面に在る」のではいけない、それ(精神)を「背中に棲ませよ」と独特の表現で教えられています。
人の一生は、その人の顔(面)を作り上げる道のりだと森信三先生は喝破しています。
欲深き心が顔に表れているままで、人生を終えてはいけないということですね。
・・・・一日一斎 (「言志四録」を味わう)
http://confucianism.blog.jp/archives/2015-03-04.html
【解説4】
「碧巌録」第46則に次のような話がある。
『鏡清和尚が一人の雲水と話をしていた。和尚が「門外に音がしているが、あれはなんの音かな」。雲水答えて「雨の音です」というと、鏡清和尚は、「衆生転倒して、己に迷いて物を逐うといった。(後略)』。
一斎先生この話を知ってか知らずか、ちょうど同じことをいっていると思われる。
・・・・川上正光「「言志四録(1)」より。
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