反省は素晴らしい心の浄化業。
自分を心から反省できる人は、体験のすべてを人生向上の原動力とすることが出来る。
昭和22年秋。日本が初めて経験する敗戦のショックから抜け切れず、不安と希望の入り交じった、雑然とした世の中であった。
ちょうどそのとき、哲人中村天風師の講演会が、神戸のモダン寺で行なわれた。当時、中学生の私は天風会神戸支部長のお伴をして、会場の準備を手伝ったが、来場者はたったの3、4人だった。
半年後、再び同じ場所で講演会が開かれた。同じ失敗を繰り返さないために、支部長は散々考えた。
そして客寄せのための余興に、大阪から楽団と女性歌手を招くことにした。
私はさらに張り切って会場のお手伝いをした。準備万端整った。
天風先生はすでに舞台裏の控室に待機していた。舞台の上では、楽団員たちが位置につき、いつでも演奏ができる状態になった。
会場には一人の来場者が座っていた。私は会場の正面玄関に出た。そこには天風先生の講演の案内と楽団及び歌手の名前の書かれた大きな看板が立っていた。
道路を見た。人影は全くなかった。時間は迫っている。突然のようにポツリポツリと人が来た。演奏が始まった。会場には5、6人の人がいたが空席が多く、寒々としていた。
私は後の会場の隅っこに座った。やるせない気持ちだった。それでも初めて聞く生の演奏にだんだんと心を奪われていった。
本もののソプラノ歌手の声は、会場全体に響いてものすごかった。「この道はいつか来た道」、「帰れソレントへ」、「松島音頭」、次々と歌が続いた。会場はようやく10人は超えた。しかし空席が多すぎる。
前座の演奏が終わったとき、支部長と一緒に天風先生の部屋へ行った。支部長は深々と頭を下げて天風に謝った。
天風先生の声が聞こえた。
「いや、そうじゃないんだ。俺は反省するよ」。
謝ったのは天風先生の方だった。その目は、支部長の労をねぎらう優しさに満ちていたが、自らを反省するといった天風先生の眼光には厳しさがあった。
それから、2,3年後、大阪の市公会堂の大講堂で天風先生の講演会があった。時間ぎりぎりに会場に行ったが、超満員でドアを締めることが出来ない盛会だった。
私の耳には今も残っている。「俺は反省するよ」。そのたびに私も私自身を思わずかえりみることになる。
反省と後悔は違う。
後悔は、過去に自分がしたことを、後になってそんなことはすべきでなかったとクヨクヨ思い悩み続けること。出口のない堂々巡りとなる。
反省は、自分の行いをふりかえり、分析し、評価し、ありたいと思う自分の姿に軌道修正すること。自己発見となり、自分の生きざまの機会開発となる。
「教養とは、反省である」。かつて日本の青年たちの知の青春を沸かした評論家小林秀雄の言葉である。
清水榮一「中村天風に学ぶ絶対積極の言葉」より。
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