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2015年07月06日23:01

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何であれ、山手線がああいう形になったから、東京が発展したわけだ。

■山手線が環状線になった理由とは?
(dot. - 07月06日 18:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=173&from=diary&id=3502529
もともとの山手線は、山手線は、日本鉄道(現在の東北本線や高崎線などを開業した民営鉄道で、明治39年に国有化)が横浜港と関東地方内陸部の埼玉、群馬、栃木各県や東北地方などを結ぶ貨物線として、赤羽―品川(および大井町)間を結ぶルートで明治19年に開業したのが始まりで、路線の正式名称としては、東北本線の支線として赤羽―池袋―大崎―品川と田端―池袋を指していました。池袋―田端は常磐線方面と横浜港方面間の接続を目的として建設され、明治36年に開業、今のような環状運転が始まったのは関東大震災の後の大正14年、池袋―赤羽は支線のような存在となったようです。
記事も書くように、上野と新橋をダイレクトで結ぶには、両駅の間には江戸時代以来の密集した市街地があり、土地買収の手間や金額を考えて郡部だった渋谷や新宿を経由し、品川につなぐルートで建設されることとなったわけですね。 
品川と田端の間は京浜線(現在の京浜東北線)に共用区間があったものの、環状ルートが形成されたことで、山手線は、郊外へ結ぶ私鉄各社が東京中心部に向かうのを阻む‘’要塞‘’のような存在となり、旧東京15区内が東京市電の路線網内で地上路線の敷設が困難だった(地下なら良かった)ため、山手線の各駅に接続する形で都心側のターミナル駅を設置する路線が相次ぐことになりました。
この制約は戦後も継続され、新宿、渋谷、池袋など山手線の各駅は都内交通への中継地となり、免許が降りていた自前での都心延伸路線の建設を諦め、各私鉄は山手線や都電に接続する各駅に自社の商業施設を集中して利益を得るのが得策と考え始め、渋谷、新宿、池袋の‘’副都心化‘’が始まっていく訳ですね。
山手線と京浜東北線は昭和31年に分離され、山手線も「品川―田端」の路線(東海道本線の支線)とされ、池袋―赤羽は赤羽線として分離(のちに埼京線)、都電は地下鉄にとって代わり、私鉄や国鉄の一部が乗り入れするようになりました。山手線に並行している貨物線には貨物列車の代わりに埼京線や湘南新宿ライン、成田エクスプレスが走り、地下鉄副都心線との乗り入れにシフトした東急東横線が地下に移動した渋谷は、再開発が注目される街になりましたが、やはり、山手線の存在なくしては東京の発展はここまでは大きくなかったのでは、と思いますね。
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