戊辰戦争のとき、江戸総攻撃を前にして西郷隆盛と勝海舟との交渉で、江戸城無血開城がきまりました。
以下、次は福田和也氏「人間の器量」(新潮新書)から引用します。
西郷は、誰もが認める器の大きい人間でしょう。
体も大きいが人間もデカかった。
なにしろ戊辰戦争のさなか、江戸城引き渡しに際して合議をしている間、居眠りをしていたというのですから、とてつもない。
演技かもしれないが、演技とは思わせないものが西郷にはあるわけですね。これが何といっても、とてつもないところです。
降伏した相手を慮って、ごく少数の供回りだけで、江戸城へ乗り込みました。
当時、江戸城では、佩刀禁止でした。刀を身につけてはならない。
ところが西郷は、勅使です。
天皇の使者だ。
幕府の法に従わなければならない道理はないのです。
とはいえ、敗者を労わりたいという気持ちが西郷にはあった。
だから、苦慮のあげく、刀を腰に下げず、抱きかかえて城に入ったといいます。
あまり見栄えはよくないけれど、姿から真情があふれてくる。
これはどんな人でも感動します。
作為というものがない。なんだか、勝って困っているようだ。
入城後、旧幕府の旗本たちが蜂起しますが、交渉相手の勝海舟をそれで批判したりしない。勝は勝で、苦労して旗本たちを押さえているということを知っていたからです。
西郷さんの数多くのエピソードのどれを見ても、器の大きさに圧倒される思いです。そして、身を処する潔癖さ、その徹底した無私の心、威張らない、腰が低い等々、純情、純粋、普通の人間を超えた大きさ・・・・西郷さんは、私に人間としてあるべき究極の姿を示してくれているようです。
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