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2015年01月26日18:48

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「中庸」君子の道四つ

今日、「中庸」を読んで心に突き刺さった言葉があります。

「君子の道四つ。丘(きゅう)未だ一つも能くせず。子に求むる所、以て父に事(つかう)ること、未だ能くせず。臣に求むる所、以て君に事ること、未だ能くせず。弟に求むる所、以て兄に事うること、未だ能くせず。朋友に求むる所、先ず之を施すこと、未だ能くせず。庸��(ようとく)を行い、庸言(ようげん)を謹(つつし)み、足らざる所有りとして、敢えて勉(つと)めずんばあらず、餘り有りとして敢えて尽くさず。言は行を顧み、行は言を顧みる。君子胡(なん)ぞ慥慥爾(ぞうぞうじ)たらざらん」(中庸第十三章)。

君子の道は四つあるが、自分はその一つすら十分に出来ていない。
一は、自分の子に対してこうして欲しいと望み、要求する、そのとおりのことを以て、自分は父に事(つか)えることが、まだよくできない。
二は、自分の家来(部下)が、こうして欲しいと望むところを以て、君(上司)に仕えることができない。
三は、自分の弟にこうして欲しいと思うところを以て、兄に仕えることができない。
四は、朋友がこうして欲しいと要求するとおりに、自分のほうからすることができない。

道というものは、人から遠くにあるものではない。人間に内在しているのだ。自分が他に要求するところのものではないか、ということです。

君子というものは、別に非凡なことを言ったり行なうものではなく、ただ、普段、なすべき徳を行い、日常言うべきことを慎んで言い、言葉もあまり言い尽さぬように、なるべく口数を少なくする。
自分の言っていることは、果たして自分が実行できているものかどうかと顧みるから言い過ぎることがない。
行なう場合にも、自分が平素言っている言葉にかなっているかどうかと顧みるから、行ないの足らないことがない。

常にかく努力するところの君子はどうして慥慥爾(ぞうぞうじ)として篤実でないことがあろう。

慥慥というのは、篤実なことの形容。つまり、このような君子は、なんと篤実ではないか、と賛美して言葉を終わったのです。



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