「陰徳と下座心」、昨日に続きます。
「禅門逸話集成」より二話、紹介します。
今から約140年前、臨済宗で仙崖(せんがい)という偉い和尚さんがいました。
この仙崖さんは人に礼をいわぬ人であった。ただ黙って頭を下げるだけでした。
「礼をいうと、せっかく受けた恩がそれっきり消えるような気がするから、いつまでも恩をありがたく思っているために礼をいわんのだ」というのです。
ある雨の日、仙崖は町で、下駄の鼻緒が切れて困っていたところ、近所の豆腐屋の女房がこれを見つけて鼻緒をすげ替えてくれました。
しかし、仙崖は一言の礼もいわず、黙って頭を下げて帰りました。
豆腐屋の女房はムッとして、人に向かって、
「仙崖さんはみな偉いお方というけれども、ちっとも偉くないよ、
私が鼻緒をすげてあげたのに一言も礼をいわれんバイ。
あんな礼儀知らずの坊主たらありはしない」
とブリブリと怒りました。
後にこの話を耳にした仙崖いわく、
「うん、そうか。礼をいやあ、それで済むかい。わしはもう一生忘れんつもりじゃったのに」という話です。
これも同じ頃の臨済宗の誠拙和尚のお話です。
この和尚が鎌倉の円覚寺にいた頃、山門を改築するため浄財を募ったことがありました。
時に札差しを商いにしている梅津伝兵衛という人が500両の寄付を申し込んできました。
和尚は、
「あぁ、そうか」
といったきり、一言のお礼らしいこともいいません。
伝兵衛は和尚が「500両」の言葉が聞こえないのだな、と思って、
「500両ばかりですが、ご寄付させていただきます」
と重ねて言いましたが、和尚は、
「あぁ、そうか」
と言ったきり、あとは何も言わない。
あまりにも素っ気ない和尚を見て、少なからず不満に思った伝兵衛伝兵衛は、我慢できずに、
「和尚さま、この500両という金は私にとっても大金で、容易に得られぬ額です。それを寄付するのですから、お礼の一言くらいあってもよさそうなものですが・・・・」
すると誠拙和尚は、その言葉の終わらぬうちに大喝して、
「馬鹿なこと申すな。お前さんが寄付するということは、自分の福田を植えることじゃ。
自分が積んだ功徳はみんな自分のところへ帰っていくのだ。
それなのに、なんでわしがお礼なんか言わなくてはならんのか」と言ったそうです。
・・・・(以上)
これらの逸話は、皆、自分の行った徳は感謝の見返りを求めることなく、かえって、
「こんな徳を積む行為をさせて頂いて、ありがとうございます」と感謝して受け取るべきであると教えています。
人の道はみな同じのようです。しかし、私には、まだまだ難しいのも課題です。
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