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2014年12月26日09:41

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実るほど頭を垂れる稲穂かな



黒住教を開いた黒住宗忠氏(160年前没)は幕末、信仰心が衰えているとき黒住教を起こし、当時の民衆に信仰心を育てた人です。

黒住教が盛んになるにつれて、多くの患者や信者を奪われた医者や祈祷師などの反発が強くなりました。

ある日、祈祷師の一人が来訪して、宗忠さんを散々にけなし続けたが、宗忠さんは手を膝において、
「ハイ、ハイ」といって聞くので、
思うままに言った祈祷師は、勝ち誇ったようすで、帰っていきました。

隣室で聞いていた宗忠夫人が出てこられて、
「あんなに言われても、一言も言いかえせないのですか」
と口惜しがられると、

宗忠さんは、勝ち誇って帰りつつある祈祷師のうしろ姿を指さし、
「あれを見よ、わしが何かを言い返したら、あんな気持では帰れぬだろう」
と言われたそうです。

このことは、私に二つのことを教えてくれました。
一つは、真の自己を自覚することの大切さということです。
キリストは、
「もし汝の右の頬を打たば、左をも向けよ。汝を訴えて下衣(したぎ)を取らんとする者には、上衣(うわぎ)をも取らせよ。人もし汝に一里を強いなば、共に二里を行け」
と言われ、どのような悪意のある行為に対しても、積極的に愛と善行を以って返しなさいと教えています。

お釈迦さまは、「天上天下唯我独尊(ゆいがどくそん)」(天上天下でただ我のみ尊し)の大自覚を持っておられました。

キリストは「われ神の子なり」と公言してはばかりませんでした。そして万物一切、善悪を問わず愛をもって導き、救おうとされました。

このように、悪に対して愛をもって返すということも、その人に、真の強者としての大自覚があったからこそ、できたのだと思います。

悪口雑言の嵐の中にあっても、相手の立場を思いやることのできた黒住氏は、相手から踏みつけられても、傷つけられても、なにをされても、少しも傷つくことのない絶対的存在としての真の自己を、自覚されていたからだと思います。

次に黒住氏に学ぶことは、どんなに社会的な強者(地位、名誉、金、知識etc)になっても、威張らない、謙虚に、下座の心の大切さです。

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」といいます。

本当の強者は、強ければ強いほど、身を低くしているということを言います。

ところが、「月給の順で並ぶ宴会かな」という川柳があります。

このように現実社会では、真の、人間としての人格、価値、能力とは全くかけ離れてしまい、「肩書き」だけがひとり立ちし、重視されがちであるように思います。

「自分が」よりも「譲る心」、「威張る」よりも「謙虚な心」、「利己」よりも「利他の心」が大切だということを、黒住氏は私に教えてくれました。




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