根本真実の教化は、徳教なり。くちにてはおしえずして、我身をたててみちをおこないて、人のおのずから変化するを徳教という。たとえば水のものうるおし、火のものをかわかすがごとし。
<徳教は道徳と本質的にまったく異なる。なぜなら、幼少期のときは親や祖父母が、また学校へ通っているときは教師が、口では教えずに、わが身を正し、行ないを慎んで、子どもがその親や教師の姿を見て、識らず知らずのうちに善の道へと変化するのが、徳教である>
戦後の日本では、親や教師が「お手本を示し導く」ことから、子どもに「口で教える」親や教師の社会に変化してしまいました。
「徳教」から「教育」への変化です。今こそ、背中でお手本を示すという「徳教」に戻す時ではないでしょうか。
昔何かで読んだ本に、神棚のある家とない家の違いを書いてありました。
神棚や仏壇はあることが大切なのではなくて、日ごろから感謝の気持ちを持つことが大切だというのです。
神棚を通じて、家族みんなが、目に見えぬ存在への畏怖と感謝を知り、少しでも優しい気持ちになれるというようなことでした。
私の家にも仏壇と神棚を置いています。といって特定の信仰対象があるわけでありません。
神棚を通して天地一切を司るサムシング・グレートの象徴を感謝するという意味です。
毎朝、仏壇の前で「般若心経」を唱えているのは、自分を見守ってくださるご先祖への感謝の意味で続けているのです。
そして、私は、月に一回は近所の神社へ参拝することを続けています。また、神社の前を通る時には、神殿に向かって軽く頭を下げるようにしています。
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