当座の苦労をいたわりて、子の願いのままに育てぬるを、姑息(こそく)の愛と云い、姑息の愛をば、舐犢(しとく)の愛とて牛の子を育てるにたとえたり。姑息の愛はさしあたりては慈愛に似たれども、その子気随(きずい)いなりて、才もなく徳もなく、鳥獣に近くなりぬれば、畢竟は、子を憎みて、悪しき道へひきいるるに同じ。(翁問答)
牛がわが子をなめ回すような溺愛で、欲しがる物は何でも与えて、甘やかしてばかりの育て方をしないことです。親牛が子牛を、いつもぺろぺろとねぶっているような子育てのことを「舐犢の愛」といいます。
それはあたかも、慈愛のように見えますがその子は気ままなわがままな子に育つのです。
才覚も徳もなく「禽獣の心」におおわれた人間に育ってしまうのです。
禽獣の心とは、自分より弱い者を平気でいじめ、反対に自分より強いものには媚びへつらう心です。
母親が子供を育てるときに、甘やかしすぎて、子供のいうことを何でもやってあげ、先回りして何でも与えてしまうことをいいます。このことが必ず後のわざはひとなるよいうのです。
中江藤樹は「姑息(こそく」の愛や「舐犢の愛(しとく)の愛」にならぬように教えています。
子供が悪くなるのも良くなるのも家庭での「しつけ」です。
勉強さえすれば、良い点数さえ取れれば良い子、良い子と牛のようにペロペロとなめまわして育てしまったのです。甘やかしすぎて、子供のいうことを何でもやってあげ、なんでも与えてしまうこと、これを戒めているのです。
教育ママになり、いくら成績が良く良い学校を出て一流企業に就職しても、徳もなく「禽獣の心」持った人間に育ててはいけません。禽獣の心とは、自分より弱い者を平気でいじめ、反対に自分より強いものには媚びへつらう心です。
そうした禽獣の心をもった人間にならないように、ライオンの子育のように、厳しいところに落とし自分の力で生きぬけるよう見守り、待つことを学んでほしいと思います。
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