【藤樹の言葉】
父母のおんとくはてんよりもたかく、海よりもふかし。あまりに広大無類の恩なるゆえに、ほんしんのくらき凡夫は、むくいんことをわすれ、かえって恩ありとも、おんなし共、おもわざるとみえたり。
【訳】
父母からうけた恵みは、天よりも高く、海よりも深いものである。それがあまりに広大で、他と比較することのできない恵みであるゆえに、利欲の心におおわれている凡人は、其の恵みの有無さえも、なにひとつ思わなくなってしまうのである。
【孝 行】
私たちの心や体は、父母からうけたものであり、父母の心や体は、先祖からうけつがれたものであります。それはもともと、大自然から授かったものです。
孝行とは、父母を大切にし、先祖を尊び、大自然をうやまうことです。そのためには自らの良知をみがき、体をすこやかにし、行いを正しくし、家族やまわりの人々と仲よく親しみ合うことが大切です。さらに、子どもをあたたかい心でしっかりと育てることも孝行です。
以下、中江彰「中江藤樹・人生百訓」(致知出版)を参考にしました。
父母がいなければ、わたしがこの世に存在しない。
藤樹は『父母恩重経』をふかく理解していた。
ひろさちや氏は、その『父母恩重経』の解説の中で
「父母の恩は大きすぎて返しきれるものではない。分割しても返せるものでもないし、ましてや一時払いもできません。返せっこないのです。釈尊も恩を返せとは言っておられません。
恩を知れと言っておられるだけです。それがとりもなおさず、父母の恩に報いる道」と述べている。
しかし、近年の日本人の思考回路は、どうも子からすれば「親はして当たり前」という風潮で満ちている。おおかたの日本人は「ほんしんのくらき凡夫」と化した。
「いやしくも尊崇・篤信の心がなければ、かならず軽忽(けいこつ)・慢易(まんい)の意がある」と王陽明が説くように、尊崇の心が欠けているところにその原因がある。
ネットより
、「縦軸のお陰様、横軸のお陰様」
http://blog.jog-net.jp/201007/article_3.html
親を思う「まごころ」の広がりを、中江藤樹は馬方や漁師にこんな風に説いている。
わたしたちは、親によってこの世に生まれました。その恩は計り知れません。ですからまず、自分を生んでくれた父母を敬い愛することは大切です。
しかし考えてみれば、その父母も祖父母から生まれました。
そうなると祖父母に対しても愛敬の念を失ってはなりません。
その考えを推し進めていくと、わたしたちはご先祖様に対しても、考を尽くす義務があります。
親への孝心は、親の親というように遡っていけば、先祖への感謝につながる。
そして先祖からの恵みを思えば、子孫のために何事かをなそうという報恩の志につながっていく。
・・・・これを「縦軸のお陰様」と呼ぶことができる。
が、それだけではありません。わたしたちは一人で生きているわけではありません。
かならず、他人との関わりがあります。世の中との関わりがあります。
恵みや慈しみをくださる方々に対しても、われわれは愛敬の念を持たなければなりません。
つまり、他人や世の中に対しても孝を尽くさなければならないのです。
また、私たちが現在、生きていけるのも様々な商品、サービスを提供し、あるいは安全を守ってくれている人々のお陰である。
親への感謝の気持ちは、そのまま自らの共同体を支えている人々への感謝と報恩の念に発展していく。
・・・・これを「横軸のお陰様」と呼ぼう。
武士道は「忠」と「孝」の二つを大切にする。
「忠」とは、ここで言う「横軸のお陰様」、「孝」とは「縦軸のお陰様」と考えれば、それは現代の共同体にも通ずる普遍的な原理であることが分かる。
国家という共同体は、国民それぞれの縦軸、横軸のお陰様が支えている。
この点の認識が政治の根本になければならない。
それが失われている所に、戦後教育の欠陥がある。
鳩山元首相は「日本列島は日本人だけの所有物ではない」、
「国というものがなんだかよくわからない」などという迷言を吐いたが、
それはこの「縦軸のお陰様」も「横軸のお陰様」も教えられていないからである。
まさに戦後教育の欠陥を体現した人物であり、こうした政治家が国政の混乱を招いているのである。
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