中国古典「大学」には、ズバリ心に突き刺さる言葉多い。そして、身を正せねば遠きに反省させられます。
読書百遍と言いますが、読む度の心への突き刺さりを5回、10回と繰り返し読み続ければ、いずれ、人間そのものを変えていくように思えます。
次のように言っている個所があります。
人はその親愛する所において辟(へき)す
人はとくに親しみ愛している人には偏りがちだ、3人の子供で1人にとくに目をかける、
1人の生徒に贔屓にする、妻を愛するあまり親を無視する・・・、反省させられます。
恩を受けた人に、あるいは裏切った人へ、嫁、舅、婿の間で、いろいろ考えます。
その賤悪する所において辟す
相手が能力的に劣っている、また虫ずが走る人である、憎んでいる、そういう場合でも、良いことや、良いことを言う時には耳を傾けよ、ほかの人が無視しても大事なことであれば尊重する・・・、大学はなかなか難しいことを教えいます。
だけど、大学は人の道を説いているのです。
その畏敬する所において辟す
後光効果あるいは光背効果というのがあります。尊敬するあまり、すべてが無条件でOKになりやすい。オーム真理教のように洗脳された人もあります。気をつけねばと思います。
その哀矜(あいきょう)する所において辟す
相手が不憫だ、可哀そうだ・・、知らず知らずのうちに過保護になりやすい、情にほだされてしまい、正しい判断ができなくなる、ということもあります。
その傲惰する所において辟す
弱者への見下した思い、能力的に上だという目線で、相手をなめてしまう。自分の話は正しいんだ、良く聞きなさいという謙虚さを失いがちです。
故に好みてその悪しきを知り、悪(にく)みてその美を知る者は、天下に鮮(すく)し
自分の好きな人であってもその欠点を見ることができ、嫌いな人でもその人のよいところをしっかりと見る人は少ない、というのです。
「アバタも笑くぼ」、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」です。
どんな人へも無批判なしに盲信しないようにしたいものです。
今日、「大学」を読み返して、このように思いました。
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