松下電器産業(現パナソニック)には創業記念日が二つあります。
ひとつは松下幸之助さんが大阪市に「松下電器器具製作所」を設立した大正7年3月7日です。
二つ目が昭和7年5月5日であり、この日を「創業命知の日」と呼んでいます。
この日に、松下さんが会社存在の目的と使命を全社員に発表、「水道哲学」を説いたのです。
その背景について次のようなことがありました。
昭和7年のこと、松下さんは取引先の案内で、奈良の天理市にある宗教団体を見学しました。以下、江口克彦氏「成功の法則」(PHP)を参考にしてまとめます。
その宗教の本部では、信者の人たちがみな生き生きと働いています。箒で掃き、ぞうきんをかけ、境内は塵一つ落ちていません。
その人の案内で境内を歩いていると、建築中の教祖殿がありました。そこでも多数の信者たちが無料奉仕で働いています。みんな汗を流し、懸命にそれぞれの仕事に取り組んでいる。
帰りの電車の中で松下さんは、「給料を貰わず、嬉々として無償の奉仕をしながら、皆幸せそうな顔をしている。 ・・・・どうしてだろう?」と考え込んだといいます。
そして、はっと気がついたのです。
「宗教には人間を救うという大きな使命感がある。それや、それなんやと思った。
それでは商売をするものの使命はなにか。貧をなくすこと、貧をなくして人びとを救うことや。
この世から貧をなくすことがわしらの使命なんや。そこで悟ったんやな。わしなりに。そしてこれがわしの経営を進める基本の考え方になった」。
人にとって、心の豊かさと物の豊かさはいずれも欠かすことはできないことだ。
宗教は人の心を救い幸せを与える聖なる仕事であるならば、事業も聖なる仕事。
事業は単なる金儲けではないのだ。物質的な豊かさを通じて人に幸せを与える聖なる仕事である。
ここに産業人としての真使命があると悟られた松下さんは、創業記念式を5月5日に開かれたのです。
この事業を通じて、世の中から貧をなくすという考え方は、
「いい物を安くたくさん」
というあの有名な「水道哲学」になっていきました。
聖なる経営とはなにか。本当の経営とはなにか。そうだ、水道の水だ。通りすがりの人が水道の栓をひねって存分に水を飲んだとしても、その無作法を咎めることはあっても、水そのものを盗ったことは咎めない。なぜだろうか。
それは価格があるにもかかわらず、その量があまりにも豊富だからである。
生産者の使命は、貧をなくすために、貴重なる生活物質を水道の水のごとく無尽蔵たらしめることである。どれほど貴重なものでも、量を多くしてタダに近い価格をもって提供することにある。
この考え方は、松下さん自身は一度もそう表現していないが、世間には「水道哲学」という呼称で広まったのです。
大阪で、たった3人でスタートした小さな町工場を、世界の松下電器に成長させた原動力は、松下さんの経営の使命を真に自覚されたからです。
当時の我が国では貧乏の克服ということが最大の課題であったのです。
・・・・・・以上。
沖正弘先生は、次のように言われていました。
人間の中には生存者と生活者の二者があります。動物の生き方は生存者的な生き方です。人間は「生活者」でないといけない。
自分の「生」を「活」かし、自分のため、人のために価値を高める、という意味だ。何もしなければ、動物と同じ「生存者」、ただ生きて存(あ)るだけの生物になってしまう、
人は何のために生きているのか、何をすべきかという、生きる目的、生きる意義を自覚して日々、生きたいものです。
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