本日の前の日記「中江藤樹の墓を訪ねた武士」について、童門冬二「中江藤樹 下」(人物文庫)にイキイキと書かれているので、抜粋、紹介します。
中江与右衛門(藤樹のこと)が、今、
「近江聖人」
と呼ばれて、その影響が琵琶湖の波のように、各地域に広がっているという。
小川村に近づいた時、熊沢蕃山は、道わきの畑の中に、耕作中の一人の農夫を発見した。蕃山は立ち止った。
「おたずねしたい」
「はい」
道に立って自分に声をかけてきた蕃山に、農夫はふりかえって鍬の手を止めた。
「何でございましょう?」
「中江藤樹先生のご墓所をご存じか?」
これを聞くと農夫はピッと緊張した。姿勢をただし、大きく頷いて、
「もちろん存じています」
といった。そして、
「お参りでしたらご案内しましょうか?」
と聞いた。
「そうしてもらえればありがたい」
「かしこまりました」
畑の中から出てきた農夫は、蕃山の後にしたがって歩きながら、
「申し訳ございませんが、ちょっと寄り道をさせていただきます」
といった。蕃山は、
「けっこうだ」
と頷いた。農夫が寄ったのは、自分の家だった。粗末な住居で、草ぶきの屋根だった。
・・・・・中略・・・・・
「お待たせしました」
そんな声がして、さっきの農夫が出てきた。見ると蕃山は驚いた。農夫は正装していた。蕃山は心の中で単純に、
(武士のわたしに礼をつくして、衣服をあらためたのだ)
と思った。
「ご案内いたします」
農夫に連れられて、蕃山は農夫の後から歩いていった。
・・・・・中略・・・・・
「あの頃の中江先生に教えを受けた人々は、その教えを自分の口から村の人々に伝えているので、たとえお亡くなりになっても、中江先生はいつもわたしたいの心の中に生きていらっしゃいます」
そう告げる農夫の言葉に、蕃山は言葉を失った。そしてはっと気がついた。
(農夫が家に戻って服装をととのえたのは、わたしのためではない。中江先生の墓参りをするために、衣服をあらためたのだ)
そう思うと、蕃山は一時にせよ、
「武士のわたしに敬意を表して、農夫は服装をあらためたのだ」
と考えたことが、とんでもない思い上がりであることを思い知った。
思い出のある玉林寺の入口左側に、与右衛門の墓が棚で囲まれて立っていた。農夫は小走りに棚に近づくと、道に正座して、ていねいに墓標に頭を下げた。思わず蕃山もつられた。蕃山も道の上に正座し、ていねいに手を合わせた。
蕃山の胸の中に言いようのない感動が渦を巻いていた。その感動を湧かせた直接のきっかけは、いま脇で道の上に正座し、心から敬虔の念を表して中江与右衛門の墓に手を合わせている農夫の言行だった。
しかし、蕃山はそれ以上に大きな衝撃を受けていた。それは今日まで蕃山の考えや行動を、根こそぎ倒壊させるような力を持った。蕃山は覚っていた。
(わたしは間違っていた)
どこが間違っていたのか。
(わたしは武士という誇りにこだわり、高い所から農民を見てきた。中江先生はちがう。同じ場所に立って共に生きておられたのだ)
そう悟ったのである。そう思うと同時に、蕃山の胸の中で何かがガラガラと大きく崩れ落ちた。それは、
「武士という高みから民に接する」
という、自身の今までの生き方であった。
・・・・・以下略。
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