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2014年11月29日08:38

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中江藤樹「足らざる部分は百倍、千倍の努力で補う」


諦めなければ必ず道は開く

「人一たびして之を能くすれば、己之を百たびし、人十たびして之を能くすれば、己を之を千たびす」

中庸の言葉です。他人が一回でできることが、自分にはなかなかできなければ、私はこれを繰り返し百回行い、百倍の努力をする。

「果たして此の道を能(よ)くすれば、愚なりと雖(いえど)も必ず明らかに、柔なりと雖も必ず強し」

このように努力して、この道を習得すれば、たとえ愚かな者であっても必ず聡明に物事をはっきり知ることができる、柔弱で弱々しい人であっても必ず強くなる。

すなわち、自分に能力がないといって諦めるのではなく、懸命に努力すれば必ず道は開ける、ということをいっています。


中江藤樹先生の弟子に大野了佐という人がいました。了佐は並はずれて記憶力が悪く、武士の子であるが跡は継げない。そこで医者になるべく志を立てて、藤樹先生のところへ入門するのです。

当時の東洋の医学は、現在の西洋医学と違って対処療法でしたから、熱が出た、腰が痛いなどというと、鍼治療などでピタッと痛みを和らげる。それが驚くほど効いたといいます。そして、こうした治療法が書かれた教科書もかなりあったようです。これを暗誦することが医者になる基本でした。

しかし了佐は、歳がそこそこ行っていたこともあり、一句を暗誦するのに午前十時から午後四時まで、二百回繰り返して、やっと覚えたといいます。ところが、夕食をとると皆忘れてしまう。そこでまた百回繰り返して、やっと暗誦できた、とされています。まさに「人一たびして之を能くすれば、己之を『百たび』する」を実行したのです。

こうした覚えの悪い弟子に対しても、藤樹先生は諦めずに教え続けました。すると了佐も、数年後には、なんとか医術の基本をマスターすることができ、大洲に帰って非常に思いやりの深い医者として、土地の人に感謝されながら人生をまっとうできたといいます。


このことについて、中江彰「中江藤樹の生き方」(明徳出版)は次のよう書いてあります。
先生は、その医術をマスターすることが困難だとして、みずから「捷径医筌(しょうけいいせん)」という入門書を書いて、了佐にさずけ、また、それをテキストにして講じ、ようやく理解させることができた。

先生は、かつて門人たちに、「私は、了佐においてほとんど精魂を尽くした」と言われた。そこで、門人たちは「あんな頭のわるい了佐ひとりのために、先生は随分と時間をさいて、よく教えられたものです」と嘆息した。

そこで、先生は次のように門人たちをいましめた。
「私は、了佐を教えたけれども、かれが勉学に励まなかったら、とてもできないことです。かれは、たいへん頭は悪いけれども、その勉励のちからは、とても尋常のものではなかったのです。いわんや了佐のようでない者は、その勉励にこころを致すことを知らなければなりません」。

藤樹の著わした「捷径医筌」は、「全部漢文にして600枚」とあるので、じつに1200ペーにもおよぶ大冊であったことがわかる。
・・・・以上。



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