西郷南洲翁遺訓の編纂は、薩摩人の手によってではなく、旧庄内藩の藩士達によって刊行されたものである。
それではなぜ南洲翁遺訓集が庄内(現在、山形県鶴岡)から出版されたのでしょうか。
明治維新の前夜、三田の薩摩屋敷を焼き払い、多くの死傷者を出した。そして最期まで抵抗した庄内藩に対して、どんなひどい目に合わされるかと、心配する処、西郷の慈愛を持った寛大な処置に感謝した藩主が家老を伴い七十数名が、政府の要職を去って鹿児島に引退していた、西郷を訪れて親しく教えを受け、その後も庄内藩士が引き続いて先生を訪ね、先生が生前語られた言葉や教訓を記録した手記を、持ち帰って遺訓集を作成したと伝えられている。
松浦光修氏は「新訳・南洲翁遺訓」(PHP)の中で、次のように書いています。
・・・・・庄内藩は、攻め寄せてきた新政府軍と戦い、やがて降伏します。明治元年のことです。事情が事情ですから、庄内藩の人々は、どれほど厳しい降伏条件を突きつけられるか・・・と心配でなりませんでした。意外にも、新政府軍の参謀である薩摩藩の黒田清隆からは、驚くほど優しく、ゆるやかな降伏条件が示されます。
そして、黒田は、藩主の上座に座って、いちおうの“言い渡し”を終わると、たただちに藩主の下座にまわり、「役目のために、ご無礼をいたしましたが、お許しください」と、じつに礼儀正しい態度です。しかも、そのあとの態度や言葉にも、少しも勝ちに驕(おご)って、威張ったところが見えません。まことに武士道をわきまえた立派な態度でした。庄内藩の人々は、いたく心を動かされます。
明治2年、庄内藩を代表して菅実秀が東京に出てきて、庄内藩に対する寛大な処置に対して、黒田にお礼を言います。すると黒田は、「あれは私の処置ではありません。すべて西郷先生の指示でやったことです」と、言うではなりませんか。
しかも、その「西郷先生」というは、新政府軍の指揮官でありながら、庄内藩が降伏した翌日には、庄内から出て行こうとしていたそうです。戦争では、相手が降伏したばかりのころは、油断してはなりません。すぐに反乱が起る可能性がるからです。ですから、ふつううの指揮官なら、しばらくの間、そこに止まって、反乱が起らないか、目を光らせるものです。
ところが、黒田は、こう言いました。
「庄内から、すぐに帰ろうとされた時、私たちは西郷先生を止めました。けれども西郷先生は、『戦は・・・勝てば、もうそれでいいよ。あとは、同じ日本人・・・・。新しい日本をつくる同志じゃないか。もう敵でも味方でもない』と、おっしゃるのです」
この話を聞いて、菅は、「この世に、そんなにすばらしい武士がいるのか」と感動し、はじめて西郷隆盛の名前を知るのです。それから、庄内藩の人々と西郷さんの不思議な交流がはじまります。・・・・・
そんな西郷さんの話された記録が西郷南洲翁遺訓です。
http://www.kamou.co.jp/keiten/saigoikun.html
【南洲翁遺訓1・現代語訳】
政府にあって国のまつりことをするということは、天の道を行なうことであるから、たとえわずかであっても私心をさしはさんではならない。
だからどんなことがあっても心を公平に堅く持ち、正しい道を踏み、広く賢明な人を選んで、その職務に忠実にたえることのできる人に政権をとらせることこそ天意すなわち神の心にかなうものである。
だからほんとうに賢明で適任だと認める人がいたら、すぐにでも自分の職をゆずるくらいでなくてはいけない。
従ってどんなに国に功績があっても、その職務に不適任な人を官職を与えてほめるのはよくないことの第一である。
官職というものはその人をよく選んで、授けるべきで、功績のある人には俸給を与えて賞し、これを愛しおくのがよい、と翁が申されるので、それでは中国古典・尚書に「徳の高いものには官位を上げ、功績の多いものには褒賞を厚くする」というのがありますが、徳と官職とを適切に配合し、功績と褒賞とがうまく対応するというのはこの意味でしょうかとたずねたところ、翁はたいへんよろこばれて、まったくその通りだと答えられた。
【南洲翁遺訓1書き下し文】
一 廟堂(びようどう)に立ちて大政を為すは天道を行ふものなれば、ちつとも私を挟さ)みては済まぬもの也。いかにも心を公平に操り、正道を蹈み、広く賢人を選挙し、能く其の職に任ふる人を挙げて政柄を執らしむるは、即ち天意也。夫れ故真に賢人と認る以上は、直に我が職を譲る程ならでは叶はぬものぞ。故に何程国家に勲労有るとも、其の職に任へぬ人を官職を以て賞するは善からぬことの第一也。官は其の人を選びて之れを授け、功有る者には俸禄を以て賞し、之れを愛し置くものぞと申さるるに付、然らば『尚書』仲虺(ちゆうき)之誥(こう)に「徳懋(さか)んなるは官を懋んにし、功懋んなるは賞を懋んにする」と之れ有り、徳と官と相ひ配し、功と賞と相ひ対するは此の義にて候ひしやと請問(せいもん)せしに、翁欣然として、其の通りぞと申されき。
・・・・以上。
★西郷さんは、「自分よりすぐれた人だ」思えば、今の職を譲りなさいと言います。 公務は天の道を行うものだからです。
★西郷さんは、職務にはそれにふさわしい人をつけるのが、天意すなわち神の心にかなうものである、と言います。
★西郷さんは、「過去に功績があったとしても、ふさわしくなければ職務を与えてはならない。功績のあった人にはお金で報い、感謝の気持ちを表せばいいと言います。
★西郷さんは、地縁、血縁など公私混同を厳しく排除しました。
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