なぜコミュニティが存在しないのか不思議でしょうがなかったために作りました。
以下はUKPROJECTからの抜粋です。
ナッツ・アンド・ミルク物語
1995年8月から98年1月にかけての約2年半、非常にマイペースな活動のうちに幕を閉じた、我がNUTS&MILKについて、あれこれ記憶を辿りつつ書いてみようと思います。
こんな機会、二度とないと思うので・・・。
'90春 出会い
いきなりですが、メンバ?4人とも同い年でして、この年揃って高校に入学。東京のとある高校で、タナカレイジ(ドラムス)とマツムラタケオ(ベース)が、千葉県のこれまたとある高校で、シライシコウジ(ギター)とヨシザワマサトモ(ボーカル)が、軽く運命的な出会いをしました。タナカ・マツムラ組はパンク好きで意気投合し、バンドを組むようになります。特筆すべきはそのバンド名で、マツムラタケオの「マツ」と「タケ」をとって、その名も「松バンブー」! このような感覚、センスはNUTS&MILKでも遺憾なく発揮されてしまうのです。一方、シライシ・ヨシザワ組は、スカ、ロカビリー好きで意気投合。「千葉県K市内では一番早かった」と自負するDJイベントなるものを近所のレンタルスペースで敢行!するも憧れだけではうまくいくはずもなく、敢えなく失敗。これに似たテイストのエピソードは、NUTS&MILKでも数多く残すこととなります。
'93春 新コンビ、マツムラ・ヨシザワ組
とある大学のとある学科一年生の春、非常に運命的な出会いがありました。マツムラとヨシザワ、のちに一緒にバンドを結成することとなるサイトウジュン(NUTS&MILKのメンバーと共にSCHOOL JACKETSを結成、そして現在活動中のYOUR SONG IS GOODに至る)。特にマツムラとヨシザワは同い年ということもあり、所謂「つるむ」仲となります。とある学科とはデザイン科で、二人は友人と一緒にデザインユニットを組みます。話が横道に逸れかけてますが何故かと言いますと、ここでも特筆すべきはそのユニット名。中学時代に熱中したラモーンズに因んで「ダモーンズ」! 二十歳になる青年のセンスとは思えません・・・。しかし、先程も記した通りコレはNUTS&MILKまで貫き通されます。
'94春 KITCHEN IN THE PARKというバンド
マツムラとヨシザワは、今度はバンドを結成。編成はマツムラ(ベース)ヨシザワ(ピアニカ)と、ヨシザワの高校からの音楽仲間シライシ(ギター)同じくヨシムラという男(ボンゴ)によるインストバンドで、吉祥寺は夜の井の頭公園でライブ(正しくは公開練習)を行っていました(バンド名の由来は・・・ご想像の通り)。演奏中、通りすがりのオジサンが振舞ってくれた「いいちこ」の味は何ともブルージーで(個人的には飲めたもんじゃなかった)、まさに音楽の醍醐味だなんてミュージシャンを気取ってました。
'95夏 スタジオに入ろう
翌年の夏、既にKITCHEN IN THE PARKを解散していたシライシ、マツムラ、ヨシザワは高円寺20000Vでの FRUITY('95〜'97、前出のサイトウジュンが在籍したパンクバンド。レジェンド!)のライブを観に行きました。単純な3人はさっそく「またバンドをやろう。しかも、大音量で・・・。」今度は公園ではその欲求が満たされないと、とりあえずスタジオ入りします。スタジオ初日、マツムラが高校時代のバンド仲間で飲み仲間のタナカを連れてきて、新バンド誕生となりました。高校の文化祭でラフィンを歌ったというタナカがボーカル、シライシはギター、マツムラはベースと決まり、余っちゃったからヨシザワがドラムス。さて、何か演奏しなくてはスタジオ代がもったいない・・・。ここは、「困った時のラモーンズ頼み(笑)」キーさえ決めれば出来るんじゃないかとやってみたら出来ちゃった(笑)。帰り道、録音したテープをラジカセにセットし、吉祥寺の東急デパートの休憩所で何度も聴いては「結構イイね、結構イイね。」なんて言っていた21才の夏・・・。
'95秋 「ナッツ・アンド・ミルク」って
4人は、毎週スタジオに入ってはレパートリーを増やしていきました。ラモーンズは勿論、クラッシュやレゲエのトゥーツ・アンド・ザ・メイタルズ、はたまた当時流行った渋谷系(?)のカヒミ・カリィの曲なんてのもいち早くカバー(そんな男性ボーカルのバンドまずいないでしょ!?)。ハッキリ言ってメチャクチャです。いつしか、カバーばかりではつまらない、とオリジナルの作曲を始めます。だったらバンド名も決めよう、初の真面目なバンド会議。「ナントカ・アンド・ナントカってかっこいいよね。」(サム・アンド・デイブ然りブッカーT・アンド・ザ・MGズ然りアートブレーキー・アンド・ザ・ジャズメッセンジャーズ然り・・・)「・・・じゃナッツ・アンド・ミルク?」これで決まっちゃうんです。
'96初夏 転機
NUTS&MILKの当面の活動予定は週に一度のスタジオ通い。曲は増えるが、ライブをやろうという発想が何故か浮かばぬまま1年が経とうとしていたある時、友達であるFRUITYからオムニバステープへの参加の誘いがあったのです。これにはメンバー一同興奮!さっそく曲の見直し・・・。と、ここで初めてある重大な事に気付きます。「タナカの声って実はヒクいよね・・・。」演奏のテンションに対してボカルは高い声の方が良い、という結論が出て、丁度良くドラムに技術的な限界を感じていたヨシザワの声が高めだったので、お互いパートを入れ替わることであっさり解決しました(本CDに収められた楽曲は、これ以降の第二期NUTS&MILKの音源です)。そして無事にFRUITYのレーベルHUMBUG!TAPESの「MEDIUM RARE COMP」に参加が決定しました。これがキッカケでバンド活動に拍車がかかり、デモテープを作って営業を始めます。パンクショップに持って行き感想をいただいたり(マル君ありがとうございました!)ライブハウスを回ったりしながら、来たる初ライブの日を待ち望んでは練習に励みました。
'96秋 嗚呼、22才の初体験
とうとう初ライブの日。場所は渋谷GIG-ANTIC。やってやるぞ!と意気込む。対バンの人たちに挨拶。「オハヨーゴザイマス!」なんて初めて使ってみたり・・・。が、リハーサルの順番がきて、もう4人ともテンパる、テンパる。アンプのツマミってどれくらいがいいんだ?・・・モニター?どうすりゃいいの?・・・対バンの皆さん、そんなにこっち見ないで・・・。今となれば良い思い出ですが、最初の頃は外(フロアの)音の良し悪しも、中(演奏用モニター)音の重要性も何もわかっていませんでした。そんなこんなで当初の意気込みはどこへやら、緊張し過ぎて本番ギリギリまで何回もトイレに行きましたね。・・・いよいよ初ステージ。極度の緊張のため、ネジが一本くらいはハズレていたのでしょう。かえってエラく高いテンションで演奏ができました。しかし一難去ってまた一難が・・・MCの存在です(そんなネジ、とっくにハズレてます)。ロックバンドのボーカルってかっこいいのカマすよな〜。でお客がイェ〜イ!とか叫んで・・・なんて思い描く余裕もなく、「え〜、次にお贈りする曲は・・・。」って、これには本人も「?」のNHKラジオのDJ調が飛び出していました。この演奏とMCとのコントラストは意外とウケたようですが・・・。
'97冬 ブレイクの予感
NUTS&MILKが活動していたこの当時、メロコアやスカコアなどパンク系のバンドが「メジャーアーティストと同じチャートで張り合う」と言うとんでもない現象が起こり始めました。その状況を僕達は指をくわえて見ていたわけではなく、ただただ「スゴイ!」と、外の世界での出来事のように感心していました。そんなNUTS&MILKに、思いがけない突然のオファーが来るのです!インディーズレーベルTV FREAKから「TVFREAK A GO! GO!」というオムニバス参加のお誘い。「MEDIUM RARE COMP」のとき同様、一同興奮!自分達の音がCDに焼かれて店頭に顔を出すなんて思ってもみませんでしたから。そして「TV FREAK A GO! GO!」は発売され、レコ発を兼ねたレーベル主催のライブに参加。ここでハプニングが起こるのです。収録曲を演奏するやいなや、お客さんがステージに上がってくるわ、一緒になって歌い出すわの大騒ぎ・・・。しかし残念な事に、バンドへの相乗効果とはなりませんでした。もちろん嬉しかったのですが、面食らい、とまどい、 NUTS&MILKらしくないとまで思ってしまう始末・・・。決して斜に構えていたわけではなく、受けとめるだけの器がなかったのです。
'98新春 さらば青春の光
歯車が動き出した途端に油不足であることに気付いた僕達は、早くも解散を決めます。 1月、新宿LOFTでのラストライブ。冒頭に「非常にマイペースな活動のうちに幕を閉じた〜」と書きましたが、本当に最後まで自分達のペースは崩しませんでした。解散を決めてからも、いつも通りに曲を作り練習をし、ラストライブで出来たてほやほやの新曲を披露する、というオチによって幕を閉じたわけです。
あとがき
解散の大きな理由は別にありまして、もう一つのバンドSCHOOL JACKETS('97〜'98、サイトウジュン・ボーカル、シライシ・ギター、タナカ・ドラムス、マツムラ・ベース、ヨシザワ・トロンボーン、からなるスゴク短い曲ばかりを演奏したバンド)の活動に区切りをつけると同時に、同じメンバーによる新バンド YOUR SONG IS GOOD('98〜、以下YSIG)一本で本気の再出発をきろう。という前向きなものでした。それから5年の月日が経ち、オヤジの階段を昇りはじめたシライシ、タナカ、ヨシザワの3人(マツムラは2001年に脱退)は現在もYSIGとして演奏し続けています。今は、外音、中音に気を遣うようになり(笑)、お客さんの楽しむ姿におもわずニコニコし、音楽の素晴らしさを心から素直に受けとめられる、まる〜い器が出来てきたような気がします。
本CDはそんな大人たちの若気の至り、否、大切な記憶であり記録であります。
青春です。FEELとか最高です。