カムパネルラは、そのきれいな砂を一つまみ、掌(てのひら)にひろげ、指できしきしさせながら、夢のやうに云ってゐるのでした。
「この砂はみんな水晶だ。中で小さな火が燃えてゐる。」
「さうだ。」どこでぼくは、そんなこと習ったらうと思ひながら、ジョバンニもぼんやり答へてゐました。
河原の礫(こいし)は、みんなすきとほって、たしかに水晶や黄玉(トパース)や、またくしゃくしゃの皺曲(しうきょく)をあらはしたのや、また稜(かど)から霧のやうな青白い光を出す鋼玉やらでした。ジョバンニは、走ってその渚に行って、水に手をひたしました。けれどもあやしいその銀河の水は、水素よりももっとすきとほってゐたのです。それでもたしかに流れてゐたことは、二人の手首の、水にひたったとこが、少し水銀いろに浮いたやうに見え、その手首にぶっつかってできた波は、うつくしい燐光をあげて、ちらちらと燃えるやうに見えたのでもわかりました。
(宮沢賢治「銀河鉄道の夜」)
地底の海、プリオシン。私は今、その海のようにとても心静かです。誰もそれと解らぬ所で時の流れが変わって来たような、そんな時代に生きている私達。うすうす気付いた時、浮かれた気分にも、沈む気分にもなれません。そこには踏み外すことの出来ないバランス感覚を要求されている、それでいて平凡な道が続くだけです。
しかしその厳しくも平凡な道は、いつのまにか私達も未知なる大洋感覚へと導いてくれる筈です。そしてそれは、まゆらぎの先導する「孔雀の道」なのだといいます。
(細野晴臣)