Paul Kossoff(ポール・コゾフ)
1950・9・14〜1976・3・19 享年25歳
出身:ロンドン北部ハムステッド
職業:泣きのギターリスト
名門私立校に通っていたが、悪い友人達とクスリをやっていたのが見つかり公立校へ転校。
父の勧めでクラシックギターを数年習うが、ある日ブルースブレイカーズのライブでエリック・クラプトンのプレイを目の当たりにし、これこそが自分の求める道だと決心、ブルーズギタリストを志す。
ロンドンのセルマーズという楽器店で働きながら
BLACK CAT BONESに加入。
更にオリジナルを模索しているその時、ロジャースに遭遇し、ニューバンド結成を持ちかける。
FREEを自分のいるべき場として心から愛していたが、メンバー間の確執によって崩壊。
次第に精神的安定を欠き、解散前後からドラッグに溺れる。
1973年、心身共に憔悴しきったコゾフはFREEを脱退、
一時療養生活を送りその後ソロギタリストとして復活、BAD COMPANYの立上げにも声はかかっていたが、体調不良のため断念。
ソロアルバムBack Street Crawler発表後に自身のバンドBACK STREET CRAWLERを結成。
1st アルバムThe Band Plays On
2ndアルバムのSecond Streetレコーディングと米国プロモーション途中の1976年3月19日、
ドラッグの後遺症による
心臓麻痺により移動の機内で死去。
困ったときには