生長の家(せいちょうのいえ)は、谷口雅春(たにぐち・まさはる)の「真理の書かれている言葉を読めば病が治る」等の主張によって、膨大な量の書籍を発行し、会員に購読させる、いわゆる「出版宗教」です。
また谷口雅春の思想には、宗教・哲学・心霊学・精神分析学などの教説が混ぜこぜに取り込まれていることから、「宗教のデパート」などとも呼ばれているものです。
この教団は、病気治しが教義の中心といっても過言ではありません。
出版物の多くは、病気が治ったという御利益(ごりやく)話で大にぎわいで、「この本(生命の実相)を読んだだけで病気が治る」と、ハッキリと書かれています。
これは谷口雅春自身が「読めば治る」と言ったわけで、
その根拠は、
「人間は神の子である。神は病気など造らない。
肉体は本来無いものだから、病気も無い。
もしあると思うならば、それは妄想である。
それが病気を生み、そして薬は病気があるとする悪念の所産(しょさん)である。
病気は無い、肉体も無いと強く念ずるところの神想観が病気を治す」
などというものです。
これを教団では「メタフィジカル・ヒーリング(超物質的療法)」などと呼んでいます。
馬鹿言ってもらっては困ります。
肉体は現実に存在するものでありますし、時として傷(いた)みが生ずるのも当たり前です。
「病気は無いんだと想えば病気は治る」などというのは、「痛いの痛いの飛んでけー!」という、単なる思い込みのオマジナイです。
こんな妄想が教義の中核なのですから、この教団の底が知れるというものです。
■唯心偏重(ゆいしんへんちょう)主義の危険
教団では
「現実世界はただ心の現すところであり、心によって自由自在に貧・富・健康・幸福等、何でも現すことができる」
などと主張し、唯心に大きく偏(かたよ)った教えを説いています。
これは現実から目をそむけ、「悪事や災難は単なる妄想に過ぎない」と虚と実を逆転させ、
逆におかしな妄想の世界をつくりだし、場合によっては精神に異常をきたしかねない、大変危険な教えです。
現実の世界をあるがままに捉(とら)えなければ、人間はマトモに生きていくことはできません。
この教団のような「心だけを中心としてすべての現象を理解させる」偏った教えは、とんでもない邪説です。
しかも、
「人に痛いことを言ふ人、キューと突く様な辛辣(しんらつ)なことを言うやうな心の傾向のある人は、
キューと突かれる、すなわち注射をされたりしなければならぬ病気にかかるわけであります」
などという馬鹿げた唯心論です。
■要するに本を売って金儲け
医学者の中村古峡(なかむら・こきょう)氏は、雅春のことを「誇大妄想症」と断じていますが、
その氏の著である『迷信に陥(おちい)るまで』には、
「或(あ)る有力な新聞記者が、谷口雅春にぶつかって
『果(はた)して君の本さえ読めば、君が大袈裟(おおげさ)に吹聴(ふいちょう)しているごとく、病気が実際になほるのかい』
と問うたところ、
彼は頭を掻(か)きながら
『いや、あれは単に本を売り出すための方便に過ぎない。本を多く売るためには、先(ま)ず多くの人々を集めねばならぬ。
多くの人々を集めるためには、何等(なんら)かの方便を用いなければならぬ』
と答えたさうな」
と記されています。
要するに谷口雅春は、本を売るために「読めば病気が治る」と宣伝しただけのことで、実際にはそんなことはないと、自身が認めているのです。
つまり生長の家という教団は、単なる本の出版・販売を目的とする「営利団体」に過ぎないのです。
■「万教帰一」の迷妄(めいもう)
教団では「万教帰一」といって、
「すべての宗教は唯一の大宇宙(神)から発したものであり、さまざまな宗教や真理は、あくまでも時代性・地域性に照らして説かれたものである」
などと主張し、
「実相とは唯一の真理であり、あらゆる宗教の本尊の奥にあるもの」
という妄説を吐いています。
これは、谷口雅春の独断と我見(がけん)に過ぎません。
例えば仏教とキリスト教では、出発点も、修行法も、さらにはその最終目的とするところも、すべてがまったく違います。
これを「あらゆる宗教の根元は一つだ」などというのは、実に「デパート宗教」らしい無知であり、迷妄であると言えます。
世の人々が宗教について何も知らないのをよいことに、あまりデタラメなことを吹聴してもらっては困ります。