保元の乱の首謀者・頼長の記録で、保延2年(1136年)から久寿2年(1155年)まで19年にわたる。自筆原本は失われて存在しない。保元の乱前夜の摂関家や当時の故実を知る上で優れた史料である。頼長が稚児や舞人、源義賢ら武士や貴族たちと男色を嗜んでいたことも書かれており、当時の公家の性風俗を知る上で貴重なものとされる。
また藤原忠通のもとに、鸚鵡と孔雀が献上された際に、鸚鵡を観察したときのことを記している。それによると鸚鵡の舌は人間の舌に似ているから、よくものを言うのだろうとある。鳴声は、中国から渡来したものなので中国語を話し、日本人には聞いてもわからないのだろうと考えた。平安期の日本の鸚鵡の観察記事としても珍しい資料である。ともあれ、逸話の記載も多く、かつ孤高の英才政治家の栄達と失脚の記として官界の実態を活写している。
『続群書類従』に所収されている。
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