ワリス・ディリー
ファッションモデル、作家、女優、人権擁護家、国連特別大使。
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管理人である私は、たまたま目に留めた雑誌に近々公開予定だという映画の原作が気になりました。
雑誌には、『遊牧民からスーパーモデルへ』という大まかなことが書かれているだけでした。
無知な私はそれまで『女子割礼』を知りませんでした。
そして原作を手に入れた私は、今まで読んだ本の中でも感じたことの無い恐怖と悲しみを知りました。
それに相反する彼女の諦めない強さも感じ取りました。
『ザ!世界仰天ニュース』という番組にワリスのことが取り上げられていたことは後で知りました。
アフリカに行ったことのない私でも、
この非情な『女子割礼』という行為を世界から無くすことは出来ないのか・・・。
本を読んで以来、ワリスのことが頭から離れることはありません。
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1965年、ソマリアの遊牧民の一族に生まれたワリス・ディリー。
13歳の時、ラクダ5頭の為に60代の男性と結婚させられそうになったが、
母の力を借りてソマリアの首都モガディシュに住んでいる母の妹に会うために、
砂漠の中を1人逃げていった。
奇跡的に母の妹に対面し、父に連れ戻されないように親戚を転々とした。
その後、母の妹の夫である駐英ソマリア大使がイギリスで4年の任期の間、
ロンドンの家で働いてくれるメイドを探すためにモガディシュに訪れ、
そこに居合わせていたワリスが4年間ロンドンでメイドとして働くことになった。
大使が任期を終え共に帰国せざるを得なかったが、
帰国当日にパスポートを紛失したと嘘をついて時間を稼ぎ、
そのままロンドンに留まった。
働いていたマクドナルドで、当時イギリスでファッション・フォトグラファーとして活躍していたテレンス・ドノヴァンに見いだされモデルとなる。
テレンスはワリスの横顔を撮りたくて、2年間もワリスを追いかけていたという。
彼は彼女が1987年のピレリカレンダーの表紙を飾るように働きかけた。
それから彼女のモデルとしてのキャリアが始まった。
ロンドンからニューヨークに移りシャネル、リーバイス、ロレアル、レブロンなどのブランドの広告やショーに出演。
1987年には映画『007 リビング・デイライツ』に端役で出演。
シンディ・クロフォード、ナオミ・キャンベル、クラウディア・シファー、ローレン・ハットンらと共に仕事をし、
ミラノ、パリ、ロンドン、ニューヨークでショーの舞台に立った。
『ELLE』『グラムール』『ヴォーグ』などの雑誌にも登場した。
1995年、アメリカのテレビ局BBCで彼女に密着したドキュメンタリー番組『ノマド・イン・ニューヨーク』が放送された。
1997年、モデルとして絶頂期を迎えていた彼女は子供のときに体験した女性器切除 (FGM) について雑誌『Marie claire』のローラ・ジフに初めて明かした。
同年、ワリスはFGM廃止のために国連大使になり、
出生地であるソマリアを訪れ母親と再会した。
1998年、最初の著書『砂漠の女ディリー』を発表し国際的なベストセラーとなり、
続けて自叙伝『ディリー、砂漠に帰る』も書いた。
波乱に満ちた半生をつづった自伝『砂漠の女ディリー』を映画化。
『デザート・フラワー』は、2010年12月25日(土)より公開される。
【著書】
・砂漠の女ディリー
・ディリー、砂漠に帰る
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