播磨国飾東郡にあって現在の兵庫県西南部を治めた藩。藩庁は姫路城(姫路市)。藩主ははじめ外様の池田氏で、のち譜代大名が転々とした末に、1749年から廃藩置県までは徳川譜代の酒井氏があった。石高ははじめ52万石、のち15万石。(wikipediaより)
歴代藩主家
池田輝政公 以降3代
本多忠政公 以降3代
松平忠明公 以降4代
榊原忠次公 以降3代
松平直矩公 以降1代
本多忠国公 以降2代
榊原政邦公 以降4代
松平明矩公 以降2代
酒井忠恭公 以降10代
以降、明治政府へ編入 姫路県へ・・・
姫路藩の終焉
戊辰戦争では藩主酒井忠惇が将軍・徳川慶喜に従ってあくまで佐幕派の立場を貫いて江戸まで赴いたため、姫路藩は朝敵の対象となり、姫路藩は官軍により攻撃され抗戦する。しかし徳川慶喜が江戸城を無血開城して恭順の意を表明したため、慶応4年(1868年)5月2日、忠惇は強制隠居となって一族の忠邦が後を継ぐこととなったのである。忠邦は新政府に与することを明確にするため、新政府に対して15万両の献金や旧幕府派の家臣の大量処分を行なっている。その後、版籍奉還により藩知事となり、明治4年(1871年)7月14日の廃藩置県で免官になり姫路藩は姫路県となる。
その後の流れ
1871年(明治4年)7月14日:廃藩置県により姫路藩(15万石)が姫路県(第一次)となる。
1871年(明治4年)11月2日:府県統合により播磨国が姫路県(第二次)に統合。
1871年(明治4年)11月9日:飾磨県に改称。
1876年(明治9年)8月21日:兵庫県へ編入。飾磨県廃止。
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