2010年参議院選でたちあがれ日本から
当選された片山虎之助先生を応援するコミュです。
たちあがれが日本が初めて国政へ送り出した片山先生。
この灯火を絶対に消してはいけません。
たちあがれ日本の為に、ぜひご参加ください!
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【経歴】
1954 年、岡山県立岡山朝日高等学校を卒業。
1958年、東京大学法学部を卒業し、自治庁(のち自治省、現総務省)に入庁、静岡県総務部長、自治大臣官房審議官、地元岡山県の副知事などを歴任する。
1988年7 月には自治省消防庁次長を最後に退官した。
1989 年、木村睦男参議院議員議長の後任として第15回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で岡山県選挙区から出馬し初当選。
大蔵政務次官、自民党の参議院会派国会対策委員長などを歴任。党内で参議院会派の幹部としての地位を築いていった。
1995 年、第17回参議院議員通常選挙で再選。
1996年には岡山県知事選挙に一時、立候補の意欲を示すも断念。
2000 年、第2次森改造内閣で郵政大臣兼自治大臣兼総務庁長官として初入閣。
2001年1月 6日、中央省庁再編でそのまま初代総務大臣となる。続く小泉純一郎内閣においても留任。同年の第19回参議院議員通常選挙で3選を果たす。
2002年、第1次小泉内閣第1次改造内閣で総務大臣留任。同副大臣には同じ岡山選出参院議員の加藤紀文。2003年、総務大臣を退任。参議院予算委員長に就任。
2004 年、自民党参議院幹事長に就任。
2005年11月、自民党岡山県支部連合会会長、自民党通信・放送産業高度化小委員長に就任。
2006年、財団法人日本消防協会会長に就任(2010年5月に任期満了、同時に最高顧問に就任)。
2007 年7月29日 第21回参議院議員通常選挙で落選。
2007年7月の参議院議員選挙では自民党に対する逆風に危機感を覚え、2005年のいわゆる郵政国会で造反した平沼赳夫にも協力を得る。参議院自民党きっての実力者で青木幹雄勇退後の次期自民党参議院議員会長と目されていたこともあり、この参院選における自民党の総大将格と言えたが[1]、民主党の新人候補である姫井由美子に敗れ落選した。
協力を呼びかけた平沼の選挙区である岡山3区内での投票では片山は姫井より約4000 票上回ったものの、他の地域では姫井が片山より票で上回る地域が多かった。この両候補の争いは、マスコミなどにより「姫の虎退治」とも呼ばれた。
落選が確定した後、正々堂々とした態度で自身と党の敗北を認め支持者に謝罪。
2007 年10月1日スタートのニッポン放送の新番組『上柳昌彦のお早うGoodDay!』に、毎週金曜日、レギュラーコメンテーターとして出演。落選後テレビ・ラジオなどのマスコミに登場する。政界引退はせず、引続き政治活動を続けることを表明しており、次期国政選挙への出馬意欲も見せていた。
しかし2010 年1月29日、自由民主党より第22回参議院議員通常選挙で比例区立候補を模索するも党の定年制度により、公認しないとの考えを伝えられた。
5月26日に参院選比例区のたちあがれ日本から立候補。会長を務めていた日本消防協会を組織票としつつ地元の岡山県を中心に選挙戦を戦い、11万7636票を得て当選し国政に復帰した。
【人物】
旧自治官僚という経歴から地方自治・地方財政を始めとする諸政策に精通しているが、国会対策畑で経験を積んだことから党人派的な部分も併せ持つ。
総務大臣を務めたことや、党内でも2005年11月より通信・放送産業高度化小委員長となったこともあり、
総務省が所管するNHKやNTTグループの改革議論では片山の2代後任の総務大臣である竹中平蔵と対立した。
学生時代は柔道部で現在5段。
現在の趣味は、読書、囲碁(5段、ただし実力は初段)、ゴルフ(ハンディ18程度)、ジョギング歴は35年。
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