デビュー曲『こんな私じゃなかったに』や『ゲイシャ・ワルツ』等のヒット曲で知られる、昭和の大芸者歌手・神楽坂はん子さんのコミュニティです。
調べたところ、歌手・神楽坂はん子さんのコミュはなかったようなので、誠に勝手ながら、コミュを作らせていただきました!^^
芸者歌手として、戦後昭和という時代を一世風靡したはん子さんの思い出・映像や音源を皆さんで共有しましょう!^^
そして、これからも神楽坂はん子の世界を伝えていきましょう!
このコミュでは…
・神楽坂はん子さんの熱烈なファンの方
・カラオケでは必ず『ゲイシャ・ワルツ』や『こんな私じゃなかったに』等のはん子さんのヒット曲を歌うという方
・はん子さんはじめ、芸者歌手に興味を持っている方
・神楽坂はん子さんの曲を是非聴いてみたい!という方…etc
…などなど、色々な方に参加していただけたら…と思っております!^^
少しでも興味を持って下さった方から、熱烈なファンの方まで、是非気軽にご参加下さいネ♪^^
※以下、Wikipediaより加筆・転載
神楽坂はん子(かぐらざか はんこ、本名・鈴木玉子、1931年3月24日 ‐ 1995年6月10日)は昭和期の芸者歌手。
【来歴】
東京都出身。両親の反対を押し切り、神楽坂で芸者をしていたところに作曲家の古賀政男と作詞家の西条八十がやってきて(万城目正の紹介)、「アリラン」を披露したところ、古賀に気に入られ、又「私、芸術家って大嫌い」と発言するなど、その竹を割ったような性格がまた気に入られ、コロムビアへスカウトされた。
1952年(昭和27年)に古賀作品の「こんな私じゃなかったに」でデビューする。同年の、江利チエミの「テネシー・ワルツ」に対抗して作られた「ゲイシャ・ワルツ」が大ヒット。一躍スター歌手となる。その後も「見ないで頂戴お月様」「こんなベッピン見たことない」などのヒット曲を放つ。ビクターからは神楽坂浮子という歌手も登場するほどの人気ぶりだったが、1955年(昭和30年)に身許引受人の意向で引退。公には結婚のための引退だと報道された。
1968年(昭和43年)はん子は急遽、歌手に復帰する。復帰に際し、はん子はそれまで暮らしていた住まいも引っ越し、関係者に対して「今までの13年間の女の生活を燃やしてきました」と語ったという。東京12チャンネルの「なつかしの歌声」に出演し、「ゲイシャ・ワルツ」をはじめとした一連のヒット曲を披露したり、コロムビアでかつてのヒット曲をステレオで再録音したりもした。
1970年代後半以降、再び姿を消す。自らの事業失敗もあり、歌手活動は完全に引退状態となった。その後は一切復帰することなく、1995年6月10日、埼玉県川口市の武南病院で一人ひっそりと肝臓癌のため亡くなった。64歳没。一人暮らしの自宅には焼酎が散乱していたという。
神楽坂という地名を一躍全国区にしたのは神楽坂はん子の功績と言っても過言ではない。彼女に憧れて歌手になった神楽坂浮子も同様の発言を2006年(平成18年)放送の「昭和歌謡大全集 第27弾」(テレビ東京)にてしている。
【代表曲】
・こんな私じゃなかったに(デビュー曲)
・ゲイシャ・ワルツ(生涯の持ち歌となった歌)
・だから今夜は酔わせてネ(はん子自身は「ゲイシャ・ワルツ」よりもこちらを気に入っていた)
・見ないで頂戴お月様
・こんなベッピン見たことない
・湯の町椿
・博多ワルツ
・こんな美男子(ハンサム)見たことない
・雨の田原坂(はん子自身の詩吟入り)
【紅白歌合戦出場歴】
『こんな私じゃなかったに』…第4回NHK紅白歌合戦
『見ないで頂戴お月様』…第5回NHK紅白歌合戦