これは単なる抗いではない。昨日や今日を望むのではなく明日を迎えるための聖戦である。敵は人ではない故堅牢なものだ。人はただの傀儡にすぎない。そう、標的は文化である。意識である。その悪しき風潮を壊し、新しい風潮を創造するのだ。それこそ我らの最大の目的であり、存在意義である。
具体的な話をしよう。残念ながら人は各が各の利益を追求する利己的な動物である。自分が良ければそれでいい。こういった考えが多くのところで蔓延している。
今の若者は平気でゴミをポイ捨てする。若者だけでなくここからそのまま大人になった人も含まれる。彼らは自分に優しい社会に身を投じ、甘えの中に生きてきた。許されるとでも思っているのだろうか。操り人形の彼らに強硬策をとってもそこに価値はない。策はただ一つ。自分に優しい社会の破壊と他人に優しい社会の構築である。それ以上でもそれ以下でもない。
環境保護に努めたい。
確かに都政のもとマクロ的な政策は打たれている。しかし国とは人。ミクロ的な対策が不可欠である。我々の目標は「ゴミを拾うことではない。意識改革に臨むことだ」
これが主体的な妄想ではない根拠を挙げよう。一つは優れた国民意識は良い国を造るということである。アジアから世界を代表する環境保護推進国へ一歩近づける。二つ目は清掃にかけるコストの削減である。ルールに従って捨ててあれば少なくともマイナスには向かうことだろう。具体的なデータは後述することにする。デメリットは見つからない。
よってこれに賛同し、明日を危惧する全ての者よ、どうだ私と世界に挑まないか。
困ったときには