筑前勤王派の志士であり薩長同盟の真の功労者、月形洗蔵のコミュニティです。
志半ばで殉難に遭った月形は、功績をひろく後世に語り継がれることもなく、その存在は歴史に埋もれています。
しかし、月形はじめ筑前福岡藩士達が明治維新において果たした役割は、後世に語り継ぐべき偉業です。
**月形洗蔵**
筑前国福岡藩士。文政11年5月5日生まれ。通称駒之助。父は藩儒月形深蔵。
文久3年の政変により都落ちした三条実美ら七卿一行を福岡大宰府に迎えるべく使者として赴いたのが月形だった。
月形は三条らに対して「薩摩と長州が対立していたのでは幕府は倒せない。何としても薩長を和解させるべきだ。」と説いた。
さらにこの頃、月形の斡旋で薩摩の西郷隆盛をまじえ薩筑長秘密会談を開いた。
以後、筑前勤王派は和解工作に奔走するが、薩長同盟成立前年の1865年、月形洗蔵らは乙丑の獄により斬首刑に処せられた。
和解工作は月形の死後、坂本龍馬らに引き継がれ実現した。
困ったときには