武田義信(たけだよしのぶ)
天文7年(1538年)生〜永禄10年10月19日(1567年11月19日)死去。
甲斐の戦国大名である武田晴信(信玄)と公家の三条公頼の娘(三条夫人)の間に嫡男として生まれ、
将来を期待されるも父信玄と駿河戦略の意見の違いで幽閉、後に死去(病死・自害説がある)。
川中島合戦ではあの上杉謙信も「武田の小伜(義信)にしてやられた」とその将才を称え、
義信死去の報を聞き「信玄は了見違いをした」と嘆息した逸話も残る。
武田勝頼や仁科盛信といった弟達に比べ、各メディアでの扱いは芳しいとは言えず、
ゲームでも能力・顔グラ(トップ画像は信長の野望・烈風伝のもの)面で恵まれない不遇の甲斐武田家嫡男。
そんな武田義信公についてのコミュです。