1985年8月12日(月)
JAL123便
乗員乗客524名
羽田空港より大阪 伊丹空港行
羽田空港を離陸30分後に機体後部の圧力隔壁の故障、鶴のマークがシンボルであった垂直尾翼が欠損。飛行機は操縦不能状態となり急上昇したり急下降しながら富士山周辺を不安定な角度で飛行を続け羽田空港や米軍の横田基地へ緊急着陸することも出来なく時速約400Kmの速度で群馬県上野村の御巣鷹山へ墜落。
現場発見までに時間を費やし翌朝13日午前5時に現場発見
奇跡的に4名救出520名の尊い人命を失う出来事となりました。
不安定な飛行を続け乗客の多くは夏休みで故郷へ帰省する人、東京ディズニーランドで思い出を作って帰宅途中、仕事を終えてお家へ帰る方々が犠牲となり予告も無い死ということを直面して愛する家族に遺書を残したり覚悟を強いられ未来ある人生に終止符が打たれてどんなに無念であったかと思います。
現在インターネットや携帯電話を使い調べたり買い物まで出来る便利な時代となりました。旅行でも渋滞するけど無事に行って帰れます。
『私たちは人の力となり人に助けられ生きています。いつの間にか安全が基本であり当たり前になっていないでしょうか』
『安全の大切さ・いのちの大切さ・あの悲惨な事故を風化させない』
一人でも多くの皆様・年齢・職業意識の壁を超えて感じていただければと心より願っています。
困ったときには