アメリカ・シアトルにあるアウトドアブランドOutdoor Researchが好きな人のコミュニティです.検索してみましたが見つからなかったので勢いで作りました.
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Outdoor Research(本国)のサイトです.最近、日本語化が進んでますね.
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日本での代理店A&Fのサイト内にあるORのページです.
トピックはどなたでも作成することができます.
以下は、以前ケンコー社のサイトにあったOutdoor Researchの沿革です.
===ここから===
1981-2007年:Outdoor Researchの26年
<1981年>
ORは前社長のロングレッグ氏の地下ガレージから始まります。
前年からのロンの登山旅行の間に、彼はもっと良いゲーターが必要だと思っていました。
そして、自分でゲーターを作り登山仲間にも評判になります。
「X−Gaiter」はORによって生産される最初の製品となりまた米国で初の第一回・アウトドアリテイラーショーに出展、初めての顧客は「REI」でした。
<1982年>
ウォーターボトルパーカーとメディカルキットがラインナップに追加。
<1983年>
OR社はロン氏のガレージから南シアトルの建物に移転。
アウトドアオーガナイザーがラインナップに追加。
<1984年>
インナー着脱式ハンドウェアー(手袋)の生産を始める。
後に「バックパッカーマガジン・ゴールド賞」を受賞し、20年以上のベストセラーとなる「クロコダイル・ゲーター」がラインナップに登場。
ゲーターの概念に革命をもたらす!!
<1985年>
85年の新製品・オールシーズンハット・ミニ&6カンクーラー・トラベルキット・アウトドアキッチンキット。
オーストラリアのIntertrek社に向けて始めて国際出荷をする。
<1986年>
シアトルソンブレロが発売される。(現在でもベストセラーのこの帽子はゴアテックスが使われておりシアトルで生まれ生産されました。)
ベーシックモジュラーミットとエクスペディションモジュラーミットがラインナップに追加。
ケンコー社との取引によりOR製品が日本のアウトドアマーケットに加わる!!
<1986年>
ロープバッグ・クランポンポーチ・ボトルトートがアクセサリーラインナップに追加。
<1987年>
ブルックスレンジャーオーバーブーツがラインナップ。そして、それはすぐに北米最高峰「デナリ」とヒマラヤ山脈行きの登山者になくてはならないものになりました。
<1989年>
ロッキーマウンテンハイゲーターとエクスペディションメディカルキットがラインナップに追加。
<1990年>
ORは、防水のスタッフザックシリーズを発売。
ハイドロシールスタッフサックは「ハイドロシール200」と呼ばれる新しい防水加工した防水ファブリックを使用。
そしてORによって特許権を得ます。以前のPVC防水バックより非常に軽くて、ずぶ濡れだったバックパッカーに向けて大ヒット商品になりました。
<1991年>
ソフトシェルパンツを発売。「フレック−テック」アパレルと呼ばれ、スパンデュウラファブリックを使いアウトドアマーケットで最も初期のソフトシェルのうちの1つです。
とても斬新なデザインのゴリラバラクラバがラインナップに追加。
<1992年>
ロン前社長がバックカントリー旅行中に現行のビィビィサックの使い勝手に不満を抱き、自分でデザインする。
特許を取った2本のポールで、頭部に空間を設け星も眺めることの出来るデザイン。不眠に悩んでいたバックパッカーに喜ばれる。
グリッパーグローブがラインナップに追加。
ゴア社の新製品ウインドストッパーを使っている最初のアイテムの一つとなる。
<1993年>
新製品のゴア・ウインドストッパーの帽子が市場で大ヒットする。そしてすぐに多くの会社によってコピーされる。
ロールトップ方式のアドバンスドハイドロシールスタッフバックが発売、防水なのでパドルスポーツに適しています。
同時にトートバッグとダッフルバッグもラインナップに追加。
<1994年>
フレックテックアルペングローブは、世界に防水ソフトシェル手袋の概念を導入する事になる。
ウインドストッパーバラクラバのニーズが拡大する。
<1995年>
継続した成長により、ORがソウドシアトル地区の現在の場所へ移る。7階建ての、より大きなスペースはORがビジネスを拡大し続けるのを可能にしました。
同じようにビィビィサックの売上も拡大する。
<1996年>
ORのウェブサイトを開設。
<1997年>
革新的なミュータントミットは、手袋ラインナップに加わります。
リペアキットは、アクセサリーの新しいカテゴリーになります。
<1998年>
トラベルカテゴリーは、新しいポーチとショルダーバッグで拡大します。
スプリングヘッドネットは発売後すぐにベストセラーになりました。
OR製品においてロングレッグによって設計されなかった最初の製品であってそれは当時大変特別な出来事でした。
<1999年>
OR社はスイスのワイルドローズ社とライセンス契約を結び女性向けのテクニカルアパレルを発売開始する。
OR社の初めてのウェアーへの試みであり、ORブランドのウェアーを企画するスタートでした。
またその年、クロコダイルゲーターがエディターズチョイス賞の金賞を受賞。
他社の全てのゲートルが審査される基準と認められます。
米国軍隊との手袋契約が完納。
そして、米国軍隊への供給元としてOR社を強化されました。
現在も軍隊向けの商品はUSファクトリーで生産されています。
<2000年>
帽子ラインアップは、初めて、ウインドストッパー以外の新しいフリースで作られます。
男性向けのテクニカルアパレルの計画がなされる。
コンプレッションスタッフバックがラインナップに追加。
<2001年>
この年はOR社に2つのニュースがあります。
(1) メンズ、テクニカルアパレル「パルサーパーカー」が発売される。
そのジャケットはゴアテックス XCRでできて、全く先進だった多くの考えと概念を備えていました。
完全に独立したフード!・脇の下ジッパーの代わりにボディの両サイドにジッパー、防水性の高い圧着されたポケットに通気性のよい裏メッシュ。立体裁断の4つのパネルによる腕のデザイン。
アウトサイドマガジンは、それを「我々が何年も見た最も革新的なジャケットと呼びました。」
シアトルでハンドメイドのそのジャケットはコストが高く、OR社からお金を奪いました。
(2) マグニチュード6.8の大地震はシアトルに打撃を与えました。
そして、最もひどい損害を近所に与えます。
通りの向かいの建物とOR社の隣の建物は崩壊しましたが、ORビルディングはなんとか建っていました。そして、ビジネスを継続することが出来ました。
<2002年>
米国内生産の費用が上がったため、売上高は減少します。
成功した新しいアイテムは、アルペンウイングライトタープとハイドロライトスタッフサックで、惨めに失敗する新しいアイテムは、バイザーオーガナイザー(車のバイザー用ポケット)とマルチ-ドライバー(ネジ回し)でした。
<2003年>
アウトドアリサーチ史で最も根本的な年。
バックカントリースキー旅行中のレベルストーク(ブリティッシュコロンビア)で、パートナーと一緒に、ロングレッグが雪崩で事故死しました。
ORのスタイル数は、半減します。
2、3ヵ月の後、ダンノードストローム(Nordstrom.comの前CEO)に会社を売却することに決めます。ダンは、長い間アウトドアを熱心に楽しみ20年以上間のORユーザーです。すぐに、「変化」は会社のモットーになります、そして、ORロゴは更新されました。
これを期にカラーリングやパッケージなど非常に売れるデザインが増えていきます。
<2004年>
同社は、あらゆる製品カテゴリーを新しくする野心的な計画を開始します。変化への最初のカテゴリーはハンドウェアーでほとんどをリニューアルしました。
アパレルで、フルシームソフトシェルの「ミスリルストームシェル」が発売、すぐに男女ともベストセラーのスタイルになります。
新しいトレードショーブースは、ソルトレイク・アウトドアリテイラーショーでデビューします。
ショーで新しいパッケージも発表。
新しいコンピュータシステムが導入されて、生産計画などよくなる。
OR社のゴールと目標が2010年に設定され、5年計画の案が発表されました。
<2005年>
ヘッドウェアーが新しくなる。
まったく新しい日除け帽子ラインアップと新しい色を発表。
発売から20年後に、バックパッカーマガジンは、「シアトルソンブレロ」にエディターズチョイスの金賞を送る。
同一の会社で金賞を2度受賞しているのはOR社のみ!!
ストレージとゲーターカテゴリーは、完全にリニューアルされます。
アパレルでは、ゼロットジャケットは、7.7オンス(218グラム)の世界で最も軽いゴア-テックスジャケットとして発売されます。
次に、ORは北アメリカにテント、シュラフとマットを販売するために、スイスの会社エクスピッドの代理店となる。
最後に、2010年度の販売ゴールが2005年度の1年間で達成される。
<2006年>
ビィビィサックの最新版とポケットシェルターのデビューで、シェルターシステムが新しくなる。
ライトヘブンは、デイユースシェルターとして新しいマーケット商品です。
アパレルの売上がアップする。
2006年秋までに、ウェアーはORの最大のカテゴリーになりました。
<2007年>
07−08FWに向け今まで約50アイテムあったウェアーを約90アイテム発表し、来期はインナーからアウターまで頭から足まで全てORで揃える事が可能になります!
===ここまで===