ビンラディンよりもアメリカ政府に恐れられ
そして、オバマよりも黒人から熱く迎えられた日本人。
中根中(なかね なか1870年 - 1945年?)
黒人運動指導者として第二次世界大戦以前のアメリカで主に活動した。
ビンラディン同様に自ら組織したイスラム原理主義団体を後ろ盾にして活動。その団体での活動を通じアメリカ政府を転覆させようと試みた人物。
ただ、ビンラディンとは異なり支持者は全てアメリカ国内に存在した。
また、中根の活動はアメリカの“内部”に深く入り込んで革命を起そうとするものであった。
中根の支持者は10万人を超す黒人たちだった。
彼らは遠く離れた日本という国からやってきた初老の男をまるで救世主のように崇めた。
日本との戦争が近づいてる時代にあって、アメリカ政府にとっては決して放置できない存在だった。
中根中という名は現在、日本はおろかアメリカにおいてもほとんど知られていない。
それは、中根中をいうひとりの男の存在が、今もって日系人や黒人社会に悪影響を及ぼしかねないからである。
↓Wikipediaより引用↓
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1933年、突如として中根は黒人指導者としての頭角を現す。
この年、デトロイトの黒人街で活動をはじめた中根は、日本陸軍から秘密裏に派遣された軍人であると名乗り『日本人は黒人と同じく有色人種であり、白人社会で抑圧されてきた同胞である。そして、日本は白人と戦っている』として黒人を扇動して、白人社会の打倒を訴えた。
中根の弁舌はカリスマ的であり、一時は10万人をも動員して黒人暴動を多発させた。中根は多くの黒人から「小さな少佐」と呼ばれ、救世主と崇める者さえいたとされる。
この間に黒人女性と結婚する。さらに立て続けに組織を設立して活動していたためにFBIによって国外退去を命じられ、日本へ帰国するもすぐにカナダへ渡り、そこから代理としての妻を通してアメリカの組織を遠隔的に運営していった。
中根らの運動は一見順調に思われたが、組織の中心で中根を支えた妻が活動資金を使い込んで放蕩に明け暮れるようになりその活動が行き詰るようになる。
中根は組織を立て直すためにアメリカに再び入国するが、1939年に逮捕される。 FBIの取調べでは「サトハタ・タカハシ」他複数の偽名を使い、嘘八百を並べ立てたといわれる。
こうして、中根の野望は一見して瓦解したようだったが、中根が獄中にいる1943年、デトロイトで黒人の大暴動が発生している。これは中根の活動に起因すると言われており、アメリカの兵器生産拠点であったデトロイトを3日間、機能停止状態に陥れた。
中根は第二次世界大戦中に釈放され、後半生愛したデトロイトに戻り、同地で没した。
また、上述の妻らとは別にさらにもう1人の黒人女性と愛人関係にあったとされる。