史上最高のコメディアンは誰かと問われれば、みなさんは誰を推します?
チャップリン? バスター・キートン? ダニー・ケイ? マルクス兄弟? エノケン(榎本健一)? ビートたけし? ローワン・アトキンソン?
ぼくは誰がなんと言おうとルイ・ド・フェネス。
「誰それ?」
日本ではそう言われるのもしょうがないのかな。
今、カタカナでネット検索しても363件ほどしかヒットしないし、YouTube(動画サイト)でも「該当する動画は見つかりませんでした」となる。
ところが「LOUIS DE FUNES」で検索するとネットで約2,680,000件、YouTubeでも1990件もヒットする。
フランスでは国民的人気を誇ったルイ・ド・フェネス。
映画「大混戦」シリーズは世界的に大ヒット。たまにNHKでも放送。
「一番おもしろいのは、ルイ・ド・フェネス」
そんな人たちが集うコミュニティになればと思います。
ルイ・ド・フェネス
LOUIS DE FUNES
小柄でハゲあがった頭がトレードマークで、人々から愛された喜劇俳優。
1914年7月31日、フランス・パリ近郊クールブヴォワ生まれ。自動車のデザイナー、毛皮商、露店商、製紙工場の会計係、バーのピアニストなどさまざまな職業を渡り歩いたあと、舞台に立つようになり、1945年に映画界入り。
ジャック・ベッケルの「幸福の設計」(1946年)に出演後、バイプレーヤーとして「七つの大罪」(1952年)、「裸の女神」(1954年)など数多くの作品に出演した。探偵コメディ「上級生の寝室」(1953年)ではジャン・マレーやフランソワーズ・アルヌールと共演している。
「青い麦」(1953年)、「バルテルミーの大虐殺」(1954年)、「ナポレオン」(1954年)、「街の仁義」(1956年)などシリアスな作品にも出演しているが、徐々に喜劇俳優として欠かせない存在となる。
「ミス・アメリカ パリを駆ける」(1961年)では、警察署長と工場の主任の二役を演じ、「大混戦」(1964年)では、サントロペ警察の巡査部長ルドヴィク役が大当たりし、一躍トップスターとなった。同シリーズは、「ニューヨーク大混戦」(1965年)、「パリ大混戦」(1968年)「ルイ・ド・フュネスのサントロペ大混戦」(1979年)などが公開された。
最も観客を呼べる喜劇俳優として、フランスでは長年にわたり人々から愛された。1970年代には心臓病のため出演作は減ったが、1979年にはセザール賞名誉賞を受賞している。1982年に映画界を引退。
私生活では1936年に結婚したが、1942年に離婚。翌年再婚し、ふたりの子供をもうけた。息子のオリヴィエは後に俳優になった。1983年1月27日、心臓発作のため死去。享年68歳。
■ 主な作品
1979年 ルイ・ド・フュネスのサントロペ大混戦
1973年 ニューヨーク←→パリ大冒険
1972年 大沈没
1972年 大乱戦
1968年 グランド・バカンス
1968年 パリ大混戦
1967年 ファントマ/ミサイル作戦
1966年 大進撃
1965年 大追跡
1965年 ニューヨーク大混戦
1965年 ファントマ/電光石火
1964年 大混戦
1964年 ファントマ/危機脱出
1962年 フランス式十戒
1961年 ミス・アメリカ パリを駆ける
1956年 街の仁義
1955年 フルフル
1954年 ナポレオン
1954年 裸の女神
1954年 バルテルミーの大虐殺
1953年 青い麦
1953年 上級生の寝室
1953年 女性の敵
1952年 七つの大罪
1948年 間謀都市
1946年 幸福の設計
ルイ・ドはルイド、フェネスはフュネスと表記されることもある。
80年代半ばまでのテレビの洋画ロードショー番組では、ファントマシリーズや大混戦シリーズはよく放送された。
声を担当していたのは、滝口順平(ぶらり途中下車の声)。別に早野寿郎バージョンもあった。
ちなみにファントマのジャン・マレーはまだ雅之だった頃の伊武雅刀、ミレーヌ・ドモンジョは小原乃梨子。
困ったときには