気づいたら無くなっていたため,二代目として建てました
日本海軍が計画した八八艦隊計画により、天城型巡洋戦艦2番艦として呉海軍工廠で建造進水した。完成前の1922年(大正11年)にワシントン海軍軍縮条約が締結されたことから、条約に従い主力艦としての廃艦処分を回避するため、当時は補助艦艇であった航空母艦に改造されることになった。
なお、本艦の同型艦である天城も同様に航空母艦に改造される予定であったが、関東大震災により竜骨を破損したため破棄されることになり、代艦として加賀型戦艦1番艦であった加賀が航空母艦に改造された。
機密保持がさほど厳しくなかった昭和初期までは艦影が公開されて、広く一般に愛された。
当初は甲板三段であったが,航空機の近代化に伴い一段に改装された
1920年(大正9年)12月6日 - 巡洋戦艦「赤城」として呉海軍工廠において起工
1925年(大正14年)4月22日 - 進水
1927年(昭和2年)3月25日 - 航空母艦として竣工
1935年(昭和10年)11月15日 - 予備艦に編入、佐世保海軍工廠にて改装工事開始
1938年(昭和13年)8月31日 - 改装工事終了
12月15日 - 現役艦に復帰
1942年(昭和17年)6月5日 - ミッドウェー海戦で大破、翌日駆逐艦の雷撃により処分
9月25日 - 除籍
性能諸元(近代化改装後)
排水量 基準:36,500t 公試:41,300t
全長 艦体:260.67m
水線長:250.36m
全幅 31.32m
飛行甲板 249.17m
機関 133,000hp
最大速力 31.2ノット
巡航速度 16ノット
航続距離 8,200浬
乗員 1,630名[1]
兵装 20cm砲 6基6門
12cm連装高角砲 6基12門
25mm連装機銃 14基28門
搭載機 常用66機、補用25機
1941年12月常用機
零式艦上戦闘機:18機
九九式艦上爆撃機18機
九七式艦上攻撃機:27機
(ウィキペディアより)