カラダの記憶の扉を開こう!!!
私たちの記憶の中に潜む原始舞踊感覚を復活するための
『 わ の舞 』を楽しむ人のコミュ
舞踊とは何かをみんなで考えてみたい人も、ぜひ…
『 わ の舞 』とは?
“わ”は、輪・和の意味も含み、『わ』とは、古来の日本人の自分自身の呼び方でもあります。(『あ』→『わ』になった)
上手、下手、恥ずかしさ、見られる緊張等を感じることなく、
誰でも入ってゆける踊りの世界、
それは私たちがかつて経験していた懐かしい心の記憶でもあります。
『わの舞』は、簡単な振りで皆で一緒に踊るだけですが、
しかし、その奥で大きな変容エネルギーが流れ出します。
「初めて踊ったのになぜか涙が止まらなくなった」
「なつかしくてどこかで踊ったことのある気がする」
「大きなエネルギーがうずまくのを感じた」
多くの方が最初からそんな体験に出会います。
踊ることは本来、私たちの生きるエネルギーの原点
そんな踊りの世界を探ってみませんか。
以下 千賀一生〈舞踊研究者であり老子研究者でもある、
わの舞創設者【著者『タオ・コード』(徳間書店)】)の基本的考え方です。
原始のシンボリズムによるダンス
原始社会の人々は、皆で円形で集まり、円の中央の聖域につながるために踊った。これは日本だけでなく、西洋にも東洋にも見られる原始社会普遍の舞踊形態であった。この形態が普遍であるのは、人類が宇宙の本来的性質をとらえようとする先天性を備えている証拠と思われる。
この原始舞踊は、舞踊であるだけでなく、言葉による宗教以前の生きた普遍宗教そのものであり、連帯感、一体感、カタルシス、超感覚的能力の形成に欠くことのできない役割を果たしていた。しかし、見せるための舞踊の発生と拡大によって、この原始の普遍文化ははるかな古代に消滅した。ダンス・イン・ワンは、見せるための舞踊ではなく、我々の記憶の中に潜む原始舞踊感覚を復活させることを目的としている。
誰もが踊った人類本来の舞踊世界
私は数十年踊りを追求しながら、原始舞踊を忠実に再現する舞踊世界が文明社会のどこにも存在しない事実を切実に感じてきた。私の踊りとの出会いは十代の頃の体験からだった。それは、踊りによって皆で一体感へと至った体験だった。
その体験による変化は、考え方とか価値観とかではなく、生きているエネルギーの質のようなものの変化だった。物事の感じ方も、感じる深さや新鮮さも、こんな次元が人間にはあったのかと思われるほど、予想もしていない世界が広がった。人や、物事との出会いも、なぜか意味ある人が必要ゆえに現れ、必要な時に必要な物事が起こるようになった。
それまでは偶然で物事が起きていたのが、そうではなく、すべてがつながり合って価値をもって起こるようになったと言ったらいいだろうか。
そしてその体験を与えた踊りは、原始舞踊の形態をわずかに残す踊りであることを後で知ったのである。
私は、一体感体験以前の自身と以後の自身を比較してこう思う。人間は、みんな同じ世界を認識しているようで、それぞれにまったく違う次元を生きている。
10の広さに生きている人は、目の前にいる50の広さを認識している人も、100の深さを認識している人も、自分と同じように分断された世界に生きているのだと思い込んでいる。
その領域を真に広げるには、知識や思考では無理である。
単なる体験でも無理である。
それには、体というものと心というものの両面に関わる、体でも心でもない本質的経路を開く以外にない。それは、体という枠組みを超える自身の把握でもある。
人間にとって苦痛に感じられている様々な問題は、一人一人異なる問題に見えるが、その根本は現象とは一つ上の次元にあり、その根本を変えれば今までとはまったく違う世界が開けてしまう。
悩みのまっただ中にある人は、そんなことがあるものかと思うことだろうし、踊るだけでそんな変化が生ずるはずがないと思うかもしれない。踊ることは運動であり、人との出会いや出来事や心に、そんな影響が及ぶはずがない。それが現代人の常識である。
しかしそれは、現代人が知っている踊りにおいてだけ通じる常識でしかないことをぜひ知ってほしい。
現代の科学ではとらえきれない未知の働きが人間の意識や体にはある。
『わの舞』は、単なる肉体運動としての踊りを示すものではない。
私たちの意識は、個体の中で働くだけでなく、外界とつながる経路をもっており、本来ならば自在に開かれるべきこの経路が、現代人は閉ざされたままとなっている。この経路が開かれる時、単なる外界ではない広大な次元に人は出会う。この経路を開く、人類がその始まりから用いていたスイッチが、ある一定の法則による踊るという行為である。それは、人類だけでなく、全生命、全存在にとって最も自然な天の与えたスイッチであると私は思う。
電子は原子のまわりを回転する。地球もまた太陽のまわりを回転する。その回転は、単なる機械的回転ではない。そこには、常に微妙な変化と一定のリズムが奏でられている。絶え間なく活動を続ける電子や地球を生命としてとらえるなら、これは彼らの舞踊以外の何ものでもない。原始舞踊は体の運動に視点を当てたものではなく、電子に原子のまわりを周回させるような、もっと本質的なエネルギーの流動に根ざしている。
私は現代の人類文化の内、人類が人類としてのスタート時点から存在していた行為は、食文化につながる『食べる』という行為と舞踊文化につながる『踊る』という行為の二つぐらいであっただろうと思っている(性行為を文化とするかは?)。
食べるということは、本来文化ではない。
先天的に人類が備えている不可欠な要素である。しかし、民族ごとにどんな食事のし方をするのかということになると、私たちはそれを文化と見なす。私たちは、それを文化と呼んでいても、食べることは失わずに誰もが行い続けている。
先天的であるとは、その存在にとって、不可欠であるということだ。だから、もしも私たちが食べることを完全に失ったならば、体に不調和を生ずることになる。ところが、踊るという先天的行為に関しては、人類はそれを失ってしまい、踊るということが、特殊な職業の人だけのものになってしまった。さらには職業ダンサーたちも原始の舞踊感覚を失っている。
この欠落が人類にとってどんなに大きな欠落であるかは、はかりしれないものがある。現代人の苦悩のほとんどは、本質では「dancing」によって本来ならばもたらされるはずのある要素の欠落から生じている。そればかりか、現代特有の様々な社会問題も、つきつめてゆけば、「dancing」によってもたらされるはずのある要素の欠落から生じている。
理念
言葉や宗教や思想は、人類を幸せにする道具である。だが皮肉なことに現代は、その幸せを与える道具こそが人類を一つにする道の障害となっている。それを乗り越えるには、言葉や宗教や思想といったフィルターを経ずにダイレクトに宇宙につながる経路を見出す以外にないのではないだろうか。
原始舞踊は人類がその始まりから有していたその経路の原点そのものである。
『わの舞』についての詳細は、
http://
をご覧下さい。
わの舞に関して個人的なイベントを開催するときについて
?千賀先生がいらっしゃらないイベントを開催するときは
まず千賀先生に確認とってください。
?千賀先生がいらっしゃらない集まり(集い、皆での練習会)は、
少数民族的な集いの場の実現と認識の上、
特別な許可を得た場合をのぞいて、
一人が教えるという場にならないようにお願いします。
また、どなたかが利益を得るということのないようにお願いします。
※わの舞の目的は、古代シンボリズム(象徴伝達文化)の復活にあり、
その対照にあるものが、現代のような言語伝達文化です。
ですので、
あまりに明文化しすぎることはできる限りさけたいと思います。
”今までにない世界の創造”
これは、わの舞の会の中で千賀先生が何度も話されてきた内容です。
人と人 お会いして、わの舞に参加して、踊って
実際の生身のカラダごと通して
その深い深い深い本質に出会い続けていただけたら光栄です
☆彡千賀先生が管理人宛に伝えてくださった内容が素晴らしかったので
こちらにも追記します
『よく、超感覚だけで伝わる時代がくるといわれていますが、
その前に、象徴伝達の過程が必要であると思っています。
たった一つの動作で、無限の情報が伝わる身体コミョニケーション。
しかし、そこには、動作というコードがあります。
そうした過程を経るとき、また、そうした中で子供たちが育つ時、
無機質なテレパシーではなく、
あたたかみのある超感覚の伝達能力が育つと思うのです。』
千賀先生がおっしゃっている
言葉であれこれ介在しない
古代シンボリズム(象徴伝達文化)の復活
これ 深いですね。
ただ 踊る 共有する 踊る 感じる 踊る 味わう 踊る 目覚める
千賀先生が目指している 今までにない世界の創造
そこにみんなが目覚めていったら素晴らしいです。
◆書き込みについて
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あくまで、「わの舞」に関する内容をお願いします。
個人的な活動や宣伝はおことわりしますm(__)m
(申し訳ありませんが、削除させていただきます)
また
誹謗・中傷など他人を攻撃する内容と判断した場合は、
管理人のほうで通告なく削除させていただく場合もあります。