昭和プロレス史に鈍く輝く伝説のマスクマン、
「ザ・コブラ」
それは新日本プロレスが「キング・オブ・スポーツ」を体現し
金曜8時に燦然と輝いていた頃のものがたり。
人気絶頂を誇っていた初代タイガーマスクが突如、
契約解消をフロントに突きつけ、強引に引退を表明した
1983年8月。
焦った新日本プロレスが取り急ぎ用意した?
謎のマスクマン、それが「ザ・コブラ」。
同年11月3日、蔵前国技館における
デイビーボーイ・スミス戦でデビュー。
ある意味、伝説の試合である。
(ちなみに試合で膝を故障、このまま長期欠場)
試合終盤、「たっかーの、たっかーの」というコールが
会場から湧いたことも手伝い、
正体も初戦で周知されることとなってしまった。
当時は体格の良さと基礎フィジカルの部分が高く評価され
成人男子層にはファンが多かったらしい。
実績としては、一応、元NWAジュニアヘビー級王者である。
IWGPジュニアヘビー級王座創設の際には
初代王者を越中詩郎と争い、一進一退の攻防の末、
・・敗れている。
その後、親日ジュニアは越中・高田の名勝負数え歌、
山崎一夫参戦、小林邦昭の親日復帰、
ジャパンの申し子・馳浩の登場などで
マスクマンの立ち位置は微妙なものになっていく。
時代の歪みのなかで静かにマスクを脱いだ
「ザ・コブラ」。
必殺技として一部マスコミで報道されていた
「スコードロン・サンダー」は、
一度も公式戦で放たれるれることはなかったという。