OPMやサブノイズ・ソルジャーズでも知られるビッグB!
ラスヴェガスで育ったビッグBは小さい頃から大きかった。
やがて彼はラスヴェガスで最も過激と称されたハードコア・バンド"187"のフロントマンとしてその名を広めた後、FMXの世界を通じてコットンマウス・キングスと知り合いサバーバン・ノイズ・レコーズに所属、既にメンバーであったOPMに参加するのと同時にソロ・アーティストとしても歩き始める。
2004年に「ハイ・クラス・ホワイト・トラッシュ」をサイプレス・ヒルのセン・ドッグの兄弟でラテン系のラッパーで初のプラチナ・ディスクを獲得したメローマン・エースやアイスTのクルーのDJエースらと完成させた。その年の4月にはコットンマウス・キングス、ジャッジD,ファンク・ジャンキーズと共に初来日を果たし、その巨体からひねり出す迫力のラップとどこか愛嬌のあるステージで観客を魅了した。同年はOPMとしても「フォーゼマシーズ」をリリース。全ての曲に参加しその存在を世界に発信した。
2005年にはソロ作「ホワイト・トラッシュ・レネゲード」をリリース。またサブノイズ・ソウルジャーズ(サバーバン・ノイズのシンガー/ラッパーが集まったユニット)としてもアルバムをリリース。この年はサブノイズ・ソウルジャーズとしてジャッジD、セイント・ドッグ(ex.コットンマウス・キングス)と来日公演を行った。何ヶ月か後に単独でも来日公演をこの年は行っている。
2006年にはサブノイズ・ソウルジャーズとしてアルバム「ドロッピン・ボムズ」をリリースし、またそれまでのサバーバン・ノイズでの活動をまとめたアーリー・ベスト的なアルバム「ランダム・スタッフ」をリリース。同時に親友であるFMXライダーのケアリー・ハートがオーナーのタトゥー・スタジオ「ハート・アンド・ハンティントン」を舞台にしたドキュメンタリーTV番組「インクド」がスタートし、そこはビッグBのラスヴェガスでの日常のたまり場の為、必然的によく登場し話題を呼んだ。
2007年には待望のソロ・アルバム「モア・トゥ・ヘイト」をリリース。諸々の活動の結果から好セールスを記録した。彼の作り上げる世界観はアルバム・タイトルに使われる「ホワイト・トラッシュ(低所得層の白人)」という言葉に集約されている。巷に溢れる「だから何?」としか感じない「俺は金持ってんだぜ・つかんだんだぜ」的な"ブリン・ブリン"ラップや"俺が俺が"ラップとは全く異なるもので、飾らなくて良いシンプルな生き方を提言している。それはかつて政府や正しくない考えの人たちに対抗するカウンター・カルチャーとして発展したヒップホップやパンク・ロックの初期の最も美しく商業化されていなかった時代に通ずる思想である。現実に真正面から立ち向かい、意味の無いコマーシャル・ヒップホップやポップ・パンクとは一線を画す彼の詩にあるのは真実のみである。
そして2009年3月新作「アメリカン・アンダードッグ」をリリース。このアルバムではブルーズやアメリカン・ロック調のトラックを多用し、新しい切り口でのビッグBを見せ、精力的にツアーを行う。
2010年10月には「グッド・タイムス&バッド・アドバイス」をリリース。このアルバムは西海岸らしいレゲエロック〜サーフのテイストを取り入れ、エヴァーラスト(ラ・コカ・ノストラ、ハウス・オブ・ペイン)やペッパーのカレオ、アンリトゥン・ローのスコットがフィーチャリング参加。
2011年8月にベストアルバム「ミュージック・フォー・ミスフィッツ」をリリースした。