上杉平三禅正少弼従五位下
藤原朝臣輝虎(贈従二位)
1530.2.18〜1578.4.19。
改名、虎千代→長尾景虎→
上杉政虎→輝虎。
通称、平三。
軍神、聖将、越後虎、越後龍と呼称
1530年、越後國春日山城生誕。
1543年、元服「長尾景虎」と名乗。
1548年、長尾家家督相続。
1552年、従五位下・禅正少弼叙任。
1553年、第1次・川中島合戦。
1554年、第2次・川中島合戦。
1557年、第3次・川中島合戦。
1561年、関東出陣。鶴岡八幡にて、
山内上杉家督・関東管領職相続。
「上杉政虎」と改名。
1561年、第4次・川中島合戦。
1561年、「上杉輝虎」に改名。
1564年、第5次・川中島合戦。
1570年、「不識庵謙信」に改名。
1576年、謙信盟主の信長包囲構築
1578年、遠征開始直前に急死。
1908年、明治帝より従二位追贈。
辞世の句
「極楽も、地獄も先は、有明の、
月の心に、懸かる曇無し」
「四十九年、一睡の夢、一期の栄華
一盃の酒、嗚呼、柳緑、花紅」
戦略・戦術家の他、和歌に通じる
文化人で、琵琶を奏でる趣味有。
毘沙門天信仰の妻帯禁制堅守。
酒好で、梅干を肴に手酌を好む。
死因は過度飲酒と塩分過多の
脳血管障害(脳溢血)と云われる。
宿敵・信玄曰「日本無双之名大将」
生涯、約70回の合戦行い敗戦3回。