ウォーエンブレム(War Emblem)
米二冠馬(ケンタッキーダービー・プリークネスステークス)
2002年エクリプス賞3歳牡馬チャンピオン選出
牝馬に興味を示さない為、産駒がとても少ないですが、産駒の比率の割に好走しています。
2世代目ですでにG1(秋華賞:ブラックエンブレム)を勝っております!
2008年にペンシルバニア大学のマクダネル博士が行った治療の結果、1日1頭ペースで種付け出来るまでの劇的な改善が見られ39頭への種付けに成功しました!
更なるウォーエンブレム産駒の走りに期待出来ます!
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【ウォーエンブレムについて】
2002年7月、サルマン殿下が急死したことにより、管財人によって所有馬の整理が行われることになった。
10月にケンタッキー州で競りが行われ、社台グループが1700万ドルで購入し、日本で種牡馬入りが決定。
シンジケートが組まれることになった。
本馬は父のOur Emblemだけでなく、母系に配合されてきた種牡馬も現在の日本ではほとんど流行していない血統である。
Northern DancerやHail to Reason、Hail to Reasonの祖父であるRoyal Chargerも血統に入っていないこともあって、かつてのサンデーサイレンスと同様、有力な繁殖牝馬とのアウトブリード主体の配合が可能であった。
特に、サンデーサイレンス産駒の牝馬とも配合が容易なことが大きな長所として捉えられた。
このような血統背景から、2002年にサンデーサイレンスが死亡したこと、米二冠という実績から本馬にはポストSSとして大きな期待が寄せられた。
期待を受けて種牡馬入りした本馬だったが、ほとんどの牝馬に興味を示さないという、自然主義が徹底されているサラブレッドの種牡馬としては致命的な問題が発生した。
Cigarのような無精子状態ではなく、種付けそのものにひるむため、種付けを行わせるために様々な試行錯誤が行われた。
主に多数の牝馬の中から、本馬が興味を示す牝馬への種付けなどが行われている。
だが種付け作業が難航を極める状況は変わらなかった。
初年度はわずか7頭の種付けに成功しただけに終わってしまい、誕生したのは4頭であった。
シンジケートは初年度にして解散されることになった。
また本馬には大手保険会社4社の保険が掛けられていたが、うち3社が合意して約16億円の保険金が支払われた。
なお残りの1社は、種付けそのものが成功しているとして保険金の支払いを拒否している。
シンジケート解散後も引き続き社台ファームで種牡馬続行に向けた取り組みが行われた。
関係者の懸命の努力により、2004年には約50頭ほどの牝馬に種付けが出来た。
この内約40頭ほどが受胎し、33頭が最終的に競走登録されている。
しかし翌2005年には種付け数9頭、登録数5頭と再び激減。
2006年に至っては種付け数が僅か1頭のみ、2007年は種付けすることが出来なかった。
2006年の1頭は受胎しなかったため、産駒の頭数は2007年産・2008年産は続けてゼロとなってしまった。
しかし、2008年にペンシルバニア大学のマクダネル博士が行った治療の結果、1日1頭ペースで種付け出来るまでの劇的な改善が見られ39頭への種付けに成功したことから、今後の種牡馬生活に大きな期待が抱かれている。
初年度産駒は2006年デビューし、同年11月にJRA2頭目の出走となるクランエンブレムが産駒初勝利を挙げ、2007年8月には2004年度産駒4頭全てが中央で勝ち上がった。
種付け数の比較的多かった2005年に誕生した33頭の産駒も好成績をあげており、2008年2月にショウナンアルバが共同通信杯を制し、産駒として初の重賞制覇を果たした。
3月にはエアパスカルがチューリップ賞を、ブラックエンブレムがフラワーカップを制し、クラシックに産駒を送り出している。
10月19日にはブラックエンブレムが秋華賞を制し、産駒2世代目でG1級競走を制覇した。
困ったときには