鹿児島の知覧にある、【豊玉姫神社】のコミュニティーです。
(でも、どの地域の豊玉姫神社でも構いません)
まだコミュニティーが無かったようなので、立ち上げました。
・豊玉姫神社が好きな方
(どの地域の豊玉姫神社でも構いません)
・豊玉姫神社に初詣よく行かれる方
・付近に住んでおり、生活の一部に溶け込んでいらっしゃる方
などなど、いらっしゃいましたお気軽にらご参加下さい
豊玉姫神社について
[豊玉姫神社略記より]
【御祭神】
豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)
豊玉彦命(トヨタマヒコノミコト)
彦火々出見命(ヒコホホデミノミコト)
玉依姫命(タマヨリヒメノミコト)
【御系統】
天照大神(伊勢神宮)
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ニニギノミコト(霧島神宮@鹿児島県)
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木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)
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彦火々出見命(ヒコホホデミノミコト…鹿児島神宮@鹿児島県)
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☆豊玉姫命☆
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鵜草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト…鵜戸神宮@宮崎県)
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玉依姫命(タマヨリヒメノミコト)
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神武天皇
|…子供、‖…夫婦。という図式で書きました。
漢字が分からなかった部分はカタカナにしてます。
スミマセン。
【由緒】
海神綿津見神(ワダツミノカミ)に二女あり、姉の豊玉姫は川辺〔@鹿児島県。知覧の近く〕に、妹の玉依姫は知覧に封ぜられることとなり、
衣(エ)の郡(コオリ)〔今の鹿児島県の頴娃(エイ)・開聞の辺り〕を御出発。
その経路は、
鬢水峠(ビンミズトウゲ)〔この水で鬢(左右の髪?)の毛の乱れを整えられた〕・
御化粧水(オケショウミズ)〔この水にて化粧された〕・
飯野(イイノ)〔途中昼飯をとられた処〕・
宮入松(ミヤイリマツ)〔ここより正式に行列を正し休憩された処〕を経て、
取違(トリチイ)〔姉妹の神様が行く手を違えられた処〕
にお泊まりに。
ここで玉依姫は川辺が水田に富むことをお知りになり〔川辺は田んぼが多く、この辺の名字は田んぼを所有していた数を表す名字が多いですex.三反田、八反田。〕、
急いで玄米のままの朝食をお炊きになって川辺へ先発された。
平常のように白米をお炊きになった豊玉姫は遅れてしまったので、
やむなく妹姫の宰領されることになっていた知覧へ向かい、
上郡の城山の下に宮居をお定めになって、知覧を宰領されたという。
ここで姫神は民生を撫育された後 崩御遊ばしたので、
郷民は御遣徳を慕って城山(ジョウヤマ)〔のちの亀甲城〕の麓に社殿を建立し、
鎮守の神として崇敬したのが、この神社のはじまりであると
いい伝わっている。
のちに父神・夫神・妹神の三柱も合●申し上げたのであるが、
天正年間(1573〜1592)
火災にあい、慶長15年(1610年)時の領主・島津忠充公が
現在の地を寄進して、還(?)宮したといわれている。
豊玉姫神社は一郷の鎮守の神であるが、
近郷の信仰も厚く、
知覧忠世の 和与状に見えるように、
社格は高く()、地方民の精神的統一の中心であった。
神社に伝わる宝物も多数で、
歴代知覧領主直筆の書額を始め、
木彫りの狛犬・
セレベス島特有の武器である火焔形剣(カエンガタツルギ)・
また神楽面は(慶長・安永・貞亨・元禄年間作等)三十四面に達している。
祭神に対する特殊信仰も多く、
豊玉姫命は御顔形が玉の如く御立派な方()で、
み子をお産の時も、産殿の屋根もまだ終えないうちに、
軽々と御安産遊ばされたので
妊婦は、当社を信仰崇拝すれば、必ず安産()で、
その上美形の子を生む()と信ぜられ婦人の崇拝は殊に厚い。
また、
豊玉姫・豊玉彦・玉依姫は共に海を司る綿津見の神であらせられ、
航海や船出の折は、
当社を崇敬し護符を受けて身につくるときは、
絶対安全と幸福が得られるものと、
漁業の方面に特殊の信仰がある。
【主な恒例祭】
☆歳旦祭 1月1日
新しい一年の弥栄を祈願する
☆春祭 3月2日
祈念祭(五穀豊穣祈願)
☆田植祭 6月5日
豊作祈願 田之神舞奉納
☆夏祭 7月9日
国選択無形民俗文化財カラクリ人形上演(水からくりです)
☆例大祭 体育の日
通称ホゼ 終日奉納武道大会(因みに社の横に外の弓道場があります。)
☆秋祭 12月2日
新●祭(豊作感謝祭)
☆大祓祭 12月31日
一年の祓い
※誤字脱字は追々訂正していきます