ソ連の農学者、ルイセンコについて熱く論争するコミュ。
概要(Wikipedia)
ルイセンコ論争とは環境因子が形質の変化を引き起こし、その獲得形質が遺伝するというルイセンコの学説に関する論争。及びそれに伴ったソ連邦における反遺伝学キャンペーン。
ルイセンコの学説は1934年に発表され、スターリン政権下で「マルクス・レーニン主義の弁証法的唯物論を証明するものだ」とされ、メンデルの遺伝学はブルジョア理論として否定された。
ルイセンコは低温処理によって春まき小麦が秋まきに、秋まき小麦が春まきに変わることを発見したとされている。これはいわゆる春化処理であるが、ルイセンコはこれを遺伝的性質がこのような操作によって変化するものと見なし、これまでの遺伝学や進化論を否定した。後天的に獲得した性質が遺伝されるというルイセンコの学説は努力すれば必ず報われるという共産主義国家には都合のよい理論であり、スターリンは強く支持した。
当時のソ連の生物学会ではルイセンコの学説に反対する生物学者は処刑されたり、強制収容所に送られるなど粛清されていた。1948年以降ルイセンコの学説は、スターリン思想に合致するものとしてソ連生物学界の公式見解として承認され、権力によってニコライ・ヴァヴィロフなどの反対論者を追放するにいたった。この迫害によってヴァヴィロフは投獄され、餓死させられている。
スターリンの死後はスターリン批判に伴いルイセンコも批判され論争で得た地位を一旦は失ったものの、フルシチョフの知遇を得たルイセンコ派は再び巻き返すことに成功する。この結果、ソ連の農業生産は著しいダメージを受けることになる。
DNAの構造や機能が解明されていくにつれ、ルイセンコ学説の支持者はいなくなっていった。
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