樺島勝一(かばしま・かついち)
本名・椛島勝一。長崎で生まれ、鹿児島で育つ。
幼い頃に絵を描くことに目覚め、独学で絵を習得する。
大正2年に上京。看板や宣伝の絵を描く。
〈飛行少年〉や〈海国少年〉などの子供向けの雑誌の表紙や挿絵を担当した後、朝日新聞社に入社。〈アサヒグラフ〉に「正チャンのばうけん」(作・織田小星)を連載。好評を得る。
また、〈少年倶楽部〉に「太陽は勝てり」で初めて登場すると評判となり、「敵中横断三百里」や「吼える密林」を担当し、挿絵画家としての人気を不動のものとした。
昭和40年5月31日、死去。享年76歳。
困ったときには