“関節技の鬼”藤原喜明選手のコミュニティを探して参加しましたが、管理者不在でもう実質的に機能していないようです。
そこで、私自身が新たに作る事にしました。
藤原組長が大好きな方、サブミッションにご興味のある方、是非ご参加下さい。
トピックの作成もどんどんご自由にどうぞ。
Wikipediaよりプロフィール
リングネーム 藤原喜明
本名 藤原喜明
ニックネーム 関節技の鬼、藤原組長、昭和のテロリスト、問答無用の仕事師
身長 186cm
体重 102kg
誕生日 1949年4月27日(59歳)
出身地 岩手県和賀郡江釣子村(現:北上市)
所属 藤原組、ウォーターオリオン(芸能)
スポーツ歴 柔道、剣道
トレーナー アントニオ猪木、カール・ゴッチ
デビュー 1972年11月12日
1972年に新日本プロレスに入門。デビュー戦は同年11月12日、和歌山県白浜町阪田会館の藤波辰巳戦。新人時代からカール・ゴッチに師事して、関節技をはじめとするレスリングの技術を学ぶ。テクニックにはすばらしいものがあったが、華がなく、前座試合を続ける。しかしアントニオ猪木のスパーリング・パートナーに抜擢され、海外遠征にも帯同した。
それまでは猪木の用心棒というだけで単なる前座の一レスラーに過ぎなく新日本のファンでしかその存在を知るに過ぎなかったが、1984年2月3日の札幌大会で、長州力を試合直前の花道で襲撃し“テロリスト”として一躍脚光を浴びる。その日以来長州力率いる維新軍団との抗争で無くてはならない存在になる(実際その頃からワールドプロレスリング(テレビ朝日)では、関節技を主体とした独特のファイトスタイルや、その一度見たら忘れられない人相も相俟って毎回中継に登場するレスラーとなり一躍知名度が上がった)。その後は愛弟子の移籍に伴い、同年6月に第1次UWFに参加。ここで漸く持ち前の関節技のテクニックを披露し、プロレスマスコミのバックアップもあり硬派のファンの注目を集める。新日本復帰、第2次UWF参加を経て、1991年3月に藤原組を旗揚げしたが、二度に及ぶレスラーの大量離脱(1993年にパンクラス、1995年に格闘探偵団バトラーツが分裂)を経て、団体としての機能を失った。以後はフリーランスとして選手活動を続けている。その技術を見込まれ、男女問わず(特に神取忍はほとんど弟子といっても良い関係で各種の関節技及び一本足頭突きを伝授されている。)指導を請う後輩レスラーも多い。ZERO-ONE(現ZERO1-MAX)時代はフリーとしての参戦ながら橋本真也のタッグパートナーや若手選手の指導員としても貢献する。(ただし、指導はしても弟子は取らないと発言していて、弟子入り志願者にはバトラーツに行くように勧めている)。
前座時代は「イラストが得意」「無口」で有名だったが、近年の活躍を見ると「無口」は何だったのだろうか?と思わせることがある(素面の場合は本当に口数が少なく、発言自体も短いことが多いが「無口」というほどではない)。なお、イラストについては、“テロリスト”として脚光を浴びる前から、東京スポーツ刊行の隔週タブロイド誌「ザ・プロレス」で読者投稿の批評コーナーを持っていた。
「長州襲撃」以前に1回だけTVでその試合が放送され玄人ファンを喜ばせた(木村健悟&藤原喜明vsディック・マードック&バッドニュース・アレン)。
さらにそれ以前、1982年1月1日に後楽園ホールでの「元旦決戦」にて行われた、カール・ゴッチとのエキシビションマッチが、TVの生中継(「新春プロレススペシャル」)で流れたこともある。
新日本に出戻っていた時期(1986年)に、東芝EMIより「湯の町ひとり」というシングルを出している(ただし、UWF事務所での通信販売のみ)。
「スポーツドリンク」と称して酒を飲むパフォーマンスは有名。酒が入っている状態では饒舌なためトークイベントなどでは酒を用意していることも多い。但し酒はかなり強く大量に飲んでも泥酔はおろか意識がはっきりしていて会話も普段通り行うことが普通である。
プロレスマスコミのインタビューに対し、おふざけが多い事でも知られる。最も有名なのは、毎年作成された雑誌企画のレスラー名鑑の「抱負」の欄にダジャレをコメントする事である。またUWF所属の頃に抱負を聞かれて、「PWFのチャンピオンになる」と答えた。当時、全日本プロレスとUWFの間に接点がなかった事や藤原自身が説明をしなかった事から、謎として残ったが、後に自ら興した団体を「新生UWF・藤原組」から「プロフェッショナルレスリング藤原組」に改称した際に、その略称がPWFとなると気付いたプロレスマスコミが納得して、改めて当時の抱負を紹介した、というエピソードがある。
芸能活動も行っており、出演したテレビ番組、映画、Vシネマは多数あり、その風貌から暴力団関連の役(もちろん他の役を演じることも多々ある)が多い。オールスター感謝祭には、毎回のように参加している。また、イラスト執筆、盆栽、浪曲鑑賞、陶芸などの多趣味でも知られる。Vシネマにおいては「SAEKO」という作品で、当時まだデビュー間もない無名時代の常盤貴子主演の作品で共演しており、常盤演じるSAEKOの用心棒役で、その役名も藤原で常盤に「ふじわらーっ。」と呼ばれていた。
「オールスター感謝祭」(TBSで毎年春・秋の特番)に於いてはよくスポーツ物のアトラクションがあり、相撲もよく催されるが、藤原とチャック・ウイルソンの一騎打ちというのが恒例となっていた。真剣そのもの(特にチャックは瞳孔が開きっぱなし)であった。
なお一方的に何も出来ず終わってしまったが、熊と戦ったことがある(手の爪をカットした熊である)。ただ、後にこの対戦に関して格闘技に関する本に「何もしないのが最大の防御(下手に踏ん張るとダメージが大きくなる)だった」と記述されている。力学台車の実験のように飛ばされたが、素晴らしい運動能力所以であると言える。
漫画家・大橋ツヨシの作品に、彼を主人公とした4コマ漫画『藤原でございます』がある。
得意技
「使う技すべてが得意技」という藤原だが、代表的な技をあげると以下のようになる。
脇固め
藤原喜明に由来した技名フジワラ・アームバーの名前で、世界中のレスラーに用いられている技。
第1次UWF最後の試合でジャーマン・スープレックスを狙った佐山聡の顔面をバックエルボーで打ち、ひるんだところをエルボーを入れた逆側の腕を取り瞬時に極めてギブアップを奪ったシーンは見事の一言。
ヘッドバット
藤原の場合は大木金太郎のように一本足スタイルで放つ。とにかく頭が固く、コーナーポストのカバーを外された金具が剥き出しになっている状態で相手に頭を打ち付けられても平然とした表情ですまし、相手が辟易とするシーンはよく見られる。また、相手が対抗してヘッドバットをしかけても全く効かず、相手の方が逆にダメージを受ける場合もある。
アキレス腱固め
元は道場でのスパーリングなどで使われていた裏の技なのだが、第1次UWF時代に頻繁に披露された事で脚光を浴びるようになった。第2次UWF時にはスタンディング式で極めてみせたこともある。
1986年2月の猪木対藤原戦において、藤原のアキレス腱固めをかけられた猪木が上半身を起こしながら「そっちじゃねえ、コッチだ」と極める方向を指差しながら挑発したシーンは有名。
腹固め
自分の両腕で相手の片腕を極め、さらに両足でもう片方の腕を極める技。
クルック・ヘッドシザース
相手の頭を両足で挟み、首をねじ切る。主にUWFで使用。
ドリル・ア・ホールパイルドライバー
現在はあまり使わないが、新日の前座時代の得意技である。その頃を知らずにUWF時代のイメージしかないファンにはこの技を使うことを全く知らない者もいる。
最近では海外からの関節技講師の依頼も多く、2006年には米国に2回、2008には米国・サンフランシスコで関節技を主とするレスリングセミナーを行った。
海外で人気の出たキラー・カーンが帰国後に突如、藤原との対戦が組まれ、彼が持つ本来の実力を知るカーンがリングから逃亡した事があった(記録はリングアウト)。一躍売れっ子レスラーになり、少々天狗になっていたカーンを戒めるために組まれた試合といわれている。
困ったときには