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奄美の唄者 坪山豊

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詳細 2020年2月22日 20:40更新

坪山豊 (つぼやまゆたか)

・昭和5年、奄美大島宇検村の生勝(いけがち)生まれ。

・昭和47年9月(42歳)。名瀬で開催された「実況録音奄美民謡大会」(主催セン トラル楽器と南海日日新聞)で脚光を浴びる。42歳のデビュー。

・昭和48年セントラル楽器よりレコードを制作。

・昭和53年「ワイド節」作曲。

・昭和54年「あやはぶら節」作曲。

・昭和55年ベルスーズ奄美名瀬公演・ボーカル担当。

・昭和55年【奄美民謡大賞第1回大会・大賞受賞】。

・昭和61年【アメリカ建国110周年記念 日本文化の紹介】築地俊造と西和美と3人でワシントンのスミソニアン博物館にて歌唱。初めての海外公演となる。
平成12年【沖縄サミット記念沖縄芸能団欧州公演】参加(モスクワ・パリ・ローマ)。南日本文化賞受賞。伝統文化ポーラ地域賞受賞。ほか多数。

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 本業は、船大工。42歳にして、それまでどちらかと言えば、好きではなかったシマウタを半ば、反強制的な形で唄うことを依頼され、「私みたいな者が民謡大会に出てもいいのか?」と言いながら、友人に三線を依頼し、渋々参加することになるが、見事合格。

「私の唄くらいで、認めてくれるんだなぁと自信がつきましてね、その後は夢中になって勉強しました」。

 大会から3年後にLPレコードを出す。当時、レコードの普及は珍しかったらしいが、一挙に坪山豊のファン層が増えることになった。研究熱心で、うたを歌う時には、その唄の故事来歴なども調べ、『ワイド節』を作る時には、徳之島において、その土地の雰囲気を感じてから作り上げた。

 有名になった今も鼻を高くすることもなく、その人柄同様に温厚で人に優しい島の香りを漂わせてくれる。ある唄者が、日本一になった時、島の人は、「・・島一番は、坪山豊」と言ったらしい。島唄をこよなく愛する島人が、認める者が、島一番、世界一の実力者なのだ。

 唄者を育てることでも名伯楽で、いままでに5〜6人の唄者を育て上げ、お弟子は約30名。中孝介(あたり こうすけ)は、約半年間、坪山豊から三線を習い受けた。「今は彼の母親がウチに来てますが・・・シマ唄は母親の方が上ですよ」と島唄には厳しい真剣な態度を持つ。

(cf セントラル楽器のHPなど)


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