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東洋ハードコアを知りたければ、実践する以外に方法はない、如人飲水。
実践者自身で問い続ける緊張の中でしか、この運動は理解できない。
やるか、やらないか。
東洋ハードコアは仮名であり、誰の物でもなく誰の物にもならない、行動し仮名を名乗り、仮名が必要なくなったら捨てる、実践し名乗る事で連帯する、だが連帯する義務もない。
ざっくり短く説明するなら。
ロックやヒップホップやレゲエやテクノなど代表的なストリートカルチャーは現代にあるが、そこにアジア民族から発生したカルチャーは一つもなく西洋から文化を輸入するしかなく、我々の我々による我々の文化が無い事に疑問を持つ者の為の運動。
1.コレは未だ答えが出ている存在では無く、可能性としての挑戦であります。
2.シンプルな基本軸は、(東洋芸術)+(東洋思想)+(ハードコア姿勢)であれば東洋ハードコアが成立します。
ここで言うハードコアとは、アウトローとアウトサイダーのストリートから発生した文化の意味で、パンクやヒップホップやレゲエなどが代表ですが、それらと同等の立場の何かを東洋から抽出するのが目的です。
3.
日本は外国の文化を輸入して加工するのに長けているというのが戦後日本ストリートカルチャーのスタンスで、それはそれとして敬意はあります。
それとは別にアジア人として独立自立し尚且つ進化し続ける文化を構築する事は不可能なのか?してきたのか?
1999年から地唄三弦を電化し東洋ハードコアの実験がスタートする。
4.研究していくうちに我々東洋の主体性が把握できにくい問題点が浮かび上がる。
#アジアはヒッピーで、自然派オーガニック、神秘主義、これらが西洋側からの利権により押し付けられた仕掛けられた、アジア(風)文化
#日本文化と社会全体が基本は家が主体、世継ぎ、何代目 職人 伝統の閉鎖と独占主義
#文化を作る下地が構築できないのは何故か?
アジアは非合理社会とみなされ、それ故に独自の思想や哲学は存在しない近代以降の日本を含めたアジアは思想自体を輸入し東洋独自の土台を放棄する、西洋式合理社会への不満に対抗する為に西洋側から非合理とさせられたアジアが利用できるとして西洋側からヒッピーか作られ、その対立が一つのビジネスモデルとなる事で東洋は西洋が求める東洋を演じなければなくなった、東洋が東洋の為の合理を築くと西洋にとっては不利益となる、ヒッピーはアジア文化ではなく、西洋の中のアジア風文化。
では神秘主義ではない思想はあるか?、神道、老荘、儒教やヒンドゥー教などの民族宗教には神がいる、神を立てる事で論理性が無くなり合理性も必要なくなる。
(東洋思想)
そこで仏教ならば神も王もいない、のだが仏教もオリエンタリズムに利用され、ヨガや癒しやヒーリングやら祈祷やら元々仏教が否定してきた項目を混ぜて、そういうわかりやすい神秘を前面に出した結果仏教が説いている内容は世間に伝わっていない、中論の因果や縁起の時間と場所の分析と観察による構造の考察は西洋現代思想の一つである構造主義よりも遥か昔にしていた。
日本には何代も続く老舗という言葉がある、それが成立するのは親から子への継承が一般的で部外者が入りにくい独占構造になっている、歌舞伎役者、出家なのに住職の息子が寺を継ぐという不可解な現象も起きている、そもそも更新をし続けている文化ならば伝統にならず、伝統になった時点で現代を放棄した態度である。
東洋ハードコアの立場はこの伝統主義とは別の現代ストリートカルチャーの為の下地作りであって、伝統を破壊するつもりはないし、する意義も無い、そもそも入れてくれないのだから破壊できない。
(東洋芸術)
これを実践するヒントとして陶芸などは元々は職人しか作ってなかったが、いつからか師弟関係もなく独学で陶芸をする人達もでてきて、○○作家という芸術として伝統システムから独立した活動が可能である実績があり、芸能も部外者が独学で芸術としての文化を作る事は可能ではないか、伝統も誰かが始めたのならば、現代ストリートアジア芸能を始められるはずである。
音楽でいうと日本だと大きく分けて民謡と芸能があり、民謡は元を辿ると土着宗教アミニズムに至り祭りもこの中に含まれる、一方芸能は仏教と共にシルクロードを通り極東の日本に着く、入ってきたという観念からしたら輸入になるだろうが東洋ハードコアは日本民族ハードコアではないのでアジア内部交流、ただ民謡と芸能の線引きは難しく明確な違いもあれば被っている部分もあり、中国や朝鮮や東南アジアでは民謡と芸能に別れているのか断言できない、民謡はワールドミュージックのカテゴリーに入るが芸能ならば民族を超えた共有できる要素が何かあるかもしれない。
ロックやヒップホップをワールドミュージックとは呼ばない、ワールドミュージックを脱しこれらと同等な文化を興す為には民謡ではなくアジア各国の芸能路線から現代化を試みるのが良いのではないか。
では実践としてのハードコア姿勢としてアジアはハードコアはできるのか?できないのか?
何故できなかったのか?は
明確に日本に原爆が落とされ終戦により日本だけでなくアジア全体がアジア人であることにコンプレックスを持ち戦後自分達の文化を否定したため、この後遺症がずっと続いてきた結果、今では東洋文化は虚構の世界のものとして我々のものではなくなってしまった、負けなければ良かったという事ではなく戦後の主体性のありかたに問題があった。
(ハードコア姿勢)
実際戦前までは前衛としての芸術運動は存在し、三味線はギターより先に電気化されていたり、お正月に必ずといって流れるあの琴の曲を作った方も琴を予想外な改造をしていたり、戦後もこのスタンスが崩れることなく発展していればもしかしたら東洋ハードコアはできていたかもしれないが、できていない現状であり、ロックがブルースから進化したりロックが過激化してパンクになりハードコアへと至ったが、その過程をアジアはしてこなかったため戦前辺りから停止してしまったハードコア精神を現代で再開すれば我々のハードコアを構築可能ではないだろうか。
まず音楽だと楽器が必要なのだが、ギターより高く、売ってるとこも少なく特に壊れやすい、本来こういうのを頑丈につくる研究やコストを安くしたりしてればいいが、してないのでストリートの労働者階級などが買いにくいが、今の時代ネットなので中古で買える、もう少し自分で研究すればより安く作る事ができる、三味線なら胴の皮の部分が高価で高い割に耐久性は低い、そこで伸縮性のあるクラフトペーパーを使えば自分で張替はできる、チューニングの機械も存在するしギターの様に抑える場所の印しが無いが、抑える場所がわかるシールも売っている、後は和楽器屋で絃と駒を買えば後は自由、三味線ぽい音を出す必要もないしバチも使う義務はない、和を演じる必要は無い。
研究用に地唄三味線 義太夫三味線 長唄三味線 和太鼓 韓国太鼓 妙鉢 おりん 琴 大正琴 尺八 胡弓 などを所有して、質を問わなければ労働者階級でも集めることは可能。
ハードコアは誰にでもできる、できないならできるように変える、自立する、d.i.y精神。これは全世界で共通されるハードコアルール。
戦後和楽器アジア楽器で新しい事をやってる様な雰囲気を出しているのは、ほぼ3種類
現代邦楽
現代音楽をアジア楽器でやる、しかしその現代は西洋式現代の意味であり、東洋式ではない、そして現代邦楽の目的はアジア民族の自立ではなく、現代音楽に属し西洋式現代音楽に評価される事が目的であり、ストリート性に関心もなくアカデミックな観念論でしかなく、リアリズムのハードコアには至らない。
レベルカルチャー路線
民謡をスタンスとしてワールドミュージックの一つに加わりレベルカルチャーとして反帝国主義、反近代主義として、植民地側からの同化を拒否する為に民族を主張する、70年代にアフリカ、アジア、南米は帝国主義に搾取される側として連帯する運動があり、それが未だに続いており日本民謡と南米音楽合わせたり、そうなるとアジア民族の自立文化ではない、東洋ハードコアとは現代アジア主義の文化運動であり目的が異なる。
サブカルチャー路線
花魁の格好や武将ゲームのキャラクターの様な派手な格好に和楽器にギターやドラムを入れた和風バンド、アニメやゲームの非現実世界をコンセプトにしたコスプレ音楽、昔からある路線だがオタクカルチャー止まりでアウトローアウトサイダーのストリートには到達した事がない。
その他で何個かあるがクラブ系でも和楽器をミックスしてトラック作るも所謂なブーンバップでキックがドラムのスネアだったりアメリカ式日系音楽として、世界標準のオシャレが先行しアジア民族としての主体性を目的としていない。
これは(東洋思想)(東洋芸術)(ハードコア姿勢)の実践の一例であり、これが正解ではありません、批判も肯定も実践でしか成立しません、実践すれば東洋ハードコアの本体が明かされるが、しないかぎり無明です。