潜水戦隊の指揮艦として建造されながら、その本務に着くことなく、事実上最後の聯合艦隊旗艦となりました。軽巡洋艦(二等巡洋艦、または乙巡)というカテゴリーに属しますが、当初「偵察巡洋艦」として計画されたようです。
日吉に司令部機能が移ってからは、あ号作戦に参加、捷一号作戦で空母「瑞鶴」を看取り、礼号作戦、北号作戦と忙しく参加。1945年3月に江田島湾飛渡瀬沖で空襲に逢い大破。同7月に多数の至近弾、直撃弾を受け、右側へ横転着底。
しかし、優れた防空能力はアメリカ軍にも認識されていました。特に両舷に配置されている長10?高角砲は脅威だったようです。
戦後の1947年12月、関係者らによって丁重にサルベージされ、翌年解体されました。
困ったときには