1932年の開設当初は、今の最終コーナーからさらにホッケンハイムの街側とその反対側に大きくコースが延びる、ほぼ直線同士を繋いだ全長12kmのコースだった。その後、1938年に街の反対側を曲線で繋いでかつてのオストカーブとなり、オーバルと直線を合わせた様な全長7.7kmのコースとなった。
しかし、1966年にアウトバーンがコース脇を通ることになったため、更にコースを短縮せざるを得なくなった。そこでJ.フーゲンホルツがサーキットを再設計し、3つのロングストレートとスタジアムセクションを結んだコースとなった。
1968年に雨の中行われたF-2のレース中、事故によってジム・クラークが死亡してしまう。 安全性向上のため、2つの長いストレートにシケインが作られた。 その後、1980年のパトリック・デパイユの死亡事故を受けて、オストカーブ付近にも3つ目のシケインが作られた。その後は長きに渡って、森の中を走るストレートを3つのシケインで区切る形で構成する高速セクションと、曲がりくねった低速のスタジアムセクションの2つに分ける高速コースだった。しかし、1991年のエリック・コマスの大クラッシュを受けてシケインが改修されるなど、小変更は何度か行われた。
2001年のドイツGP終了後に大改修が行なわれ、全長6.823kmから4.574kmへ大幅短縮し、中高速コースへと生まれ変わった。さらに、美しい緑の森の中を時速360kmで駆け抜けた超高速ロングストレートは姿を消し、よりタイトな近代レイアウトへと変化した。
尚、現在の旧コースは、旧コース入り口の先からオストカーブまで舗装が剥がされ草が生い茂っており、切り開かれた森だけが、そこにかつての高速コースがあったことを象徴している。
・補足
フランクフルトから車で南へ1時間の場所にあり、付近には古城街道など観光名所も多い。
現在の形に再設計したのは、後にセパンや上海の設計、富士の再設計をしたヘルマン・ティルケである。
現在のコースは、以前よりもオーバーテイクポイントが増え、スピードと距離を大幅減少させたことによって、安全性も高まった。これを推奨する意見の一方で、かつての高速バトルを懐かしむ声も多い。