三無事件(さんゆうじけん)とは、1961年12月12日に起きた、旧日本軍の元将校らが画策したクーデター未遂で、破防法の適用により、初めて有罪判決が下された事件でもある。
陸軍士官学校第59・60期同窓会「国史会」の急進派が中心になった事から国史会事件とも呼ばれる。
一味は60年安保闘争における共産主義―左翼の台頭を危惧し、容共的な閣僚・政治家を粛清する目的でクーデターを企んだという。
作戦は
?開会中の国会を占拠、総選挙の実施
?閣僚を監禁し逃走者は射殺
?報道管制の実施
?自衛隊には中立働きかけ
?戒厳令を敷き臨時政府の樹立
と、段階を踏む手筈になっていた。
なぜ公安部が計画を察知出来たのかについては諸説あり(内通者説、大物右翼が池田首相に知らせた等)、明確にされていない。
また、自衛隊の一部部隊にも参画するよう工作されていた事が判明しているが、自衛官の関与者については処分された様子がなく(但し一線からは外され、閑職に追いやられた模様)、この件について防衛省(旧防衛庁)は現在に至るまで沈黙を保ったままである。
「三無」は無税・無失業・無戦争の3つの“無し”から取られたもので、老子の「無は有に転ず」から“さんむ”ではなく“さんゆう”と呼ばれていたという。
具体的な内容は以下の通り。
無税…官公庁の大幅人員削減による財政収縮と公社公団の民営化
無失業…大規模な公共事業の実施による失業者吸収
無戦争…ミサイルや宇宙兵器の開発による外国からの侵略の阻止
引用 ウィキペディア
誰も作られていないので、作りました。
これから、皆さんと学んでいければと思います。
皆さんよろしく!