芸術と共に芸術家そのものに愛を注いだ人物
その懐の大きさから亡くなった今もなお、多くの作家に慕われ続けている。
河北倫明−米倉守と続く中、ポスト米倉守不在の現況が、美術界にとって重要だったその存在価値を物語っている。
略歴
1938年三重県津市出身。
関西大学文学部卒業。
朝日新聞編集委員(美術担当)。
松本市美術館長、名古屋芸大客員教授、東京芸大非常勤講師。アサヒビール文化芸術振興財団、タカシマヤ文化基金、五島記念文化財団、日本芸術文化振興会、小山敬三美術振興財団、セゾン現代美術館、小諸市立小山敬三美術館、安田火災東郷青児美術館等の運営・選考・評議委員。「両洋の眼」展運営委員、昭和会賞、多摩総合美術展、日本ユーモア陶彫展、アート・コンポ香川などの審査委員。
日・中・韓水墨画展コミッショナー、ペンクラブ会員。
松本市美術館長、多摩美大教授。
2008年2月25日午後7時18分、下いん頭がんのため東京都三鷹市の病院で死去、享年70歳。
生前の活動
年間5本の美術展企画、監修、月刊誌等の連載9本、画集、図録の主論原稿20本、講演15回ペース。
[研究論文]
現在続行中の美術企画展は「両洋の眼・現代の絵画展」、「美しすぎる嘘・現代リアリズム展」、「美は老いることがない」展などで、2001年は「下田義寛展」(パリ)、「高山辰雄・日月星辰展」を企画監修。他に「連画展」、「澁澤龍彦画廊」、「美の予感(日本画・洋画)展」などを企画した。
[連載]
月刊美術「夢なら正夢」(実業之日本社)
季刊清春「天馬が駆ける・梅原龍三郎評伝」(清春芸術村)
月刊美術の窓「せらびい・展評」(生活の友社)
週刊朝日「ふたりであーと」(朝日新聞社)
季刊カフェ「カフェ画廊」(枯野社)、旬刊アートトップ「展評」(芸術新聞社)などがある。
[監修]
「現代美術・全18巻」(講談社)など
[主著・評伝]
「中村彝・運命の図像」(日動出版)
「早すぎた夕映・有元利夫」(講談社)
「ふたりであること・カミーユ・クローデル」(講談社)
[評論]
「個の創意・現代美術の現場から」(形象社)
「美の棲家・西洋編」「美の棲家・東洋編」(彩樹社)
「流産した視覚」「全体人・河北倫明」「芸術への挨拶」(芸術新聞社)
「非時言葉掟・脇村義太郎」(形文社)ほか。
[編著]
「私は人間である」(夢想社)
「花が逃げる・土門拳」(プロジェダール)
「与勇輝の世界」(小学館)
「薬師寺への道・平山郁夫」(集英社)
「野田弘志の筐」(プロジェダール)
「絵会話(織田広喜)仏快話(石井好子)」(ビジョン企画出版)
[共著]
「両洋の眼・21世紀の絵画」瀧悌三氏と(美術年鑑社)
「二紀会50年史」中島理寿(年表)と(美術出版デザインセンター)
[画集監修]
「石垣定哉画集」(日動出版)
「連画・歌枕―枕にこそは、はべらめ」(高島屋)
「田村一男作品集」(松本市)
「大薮雅孝作品集」(求龍堂)
「小杉小二郎作品集」(小川美術館)
他多数。
困ったときには