成田雲竹
本名 成田武蔵(たけぞう)
1889(明治22)年1月15日-1974(昭和49)年5月22日
青森県西津軽郡森田村 出身
父留蔵・母ゆみとの間に長男として生まれる。
天賦の美声と筋の良さから民謡の道を志すが、両親の強い反対を受ける。
明治42年巡査となり、翌年名川町出身の木村よね(芸名・北海米子)と結婚。
大正7年、北海道巡査として札幌に渡り、「江刺追分」を学ぶ。
巡査の仕事を辞してからは民謡道場の開設、津軽民謡と江差追分の普及をかねて
各地の民謡を訪ねる民謡行脚、弟子達を連れての興行と民謡一筋。
多くの門弟の育成にも力を注ぎ、津軽民謡の父と慕われている。
昭和44年、日本民謡協会から、日本で初めて名人位を贈られた。同年勲五等双光旭日章。
戒名・法声院超誉雲竹寿翁居士。
弟子の小形さよ(成田雲竹女)が同郷の高橋定蔵(竹山)を連れてきたのが雲竹と竹山の出会い。
数年の間をおいた昭和25年、高橋定蔵を伴奏者に迎え竹山の号を授ける。
昭和39年に長男の住む室蘭に身を寄せるまで2人のコンビは続く。
その間演奏活動は無論、津軽民謡の編曲、「りんご節」を始めとする新民謡の作曲と普及に情熱を注いだ。
以上(高橋竹山 オフィシャルブログより)
津軽民謡のみならず、全国各地の民謡を唄いこなした。
また、自作曲であるリンゴ節、ワイハ節などは、現在でも唄い継がれ、人々に愛され続けている。