二代目 高橋竹山
幼少の頃に三味線に出会い、11才で稽古を始める。
17才の時、津軽三味線奏者の初代・高橋竹山のレコードを聴いたのがきっかけとなり、18才で竹山の内弟子となる。三味線のみならず、名人とうたわれた成田雲竹の格調高い津軽民謡も師・竹山から学びながら、高橋竹与(ちくよ)の名で師・竹山と共に舞台に立つ。
内弟子生活6年を経て1979年に自立。翌1980年、初の独演会を東京・渋谷ジァン・ジァンで開く。以後、独自の演奏活動を行いながら、師・竹山について日本国内はもとより、1986年のアメリカ7都市公演、1992年のフランス・パリ公演など海外でも演奏する。
1995年6月、師・竹山から独立して15年目を迎えたのを期に初のCDアルパム「津軽三味線とその試み」(ディスク・ジァン・ジァン)を発表。三味線独奏曲や師・竹山との三味線二重奏曲などの他、天才劇詩人として時代を駆け抜けた寺山修司が竹与の為に作詞し、竹与自身が作曲した『さらば東京行進鹿』『歌のわかれ』『せきれい心中』『紅がすり抄』、北海道民謡「江差追分」とアラブの民謡をべ一スにした、ヴァイオリンの太田恵資との即興的セッション『北の唄』、三味線とジプシーヴァイオリンが交錯するトルコ舞踊曲『ロンガ・シャーナーズ』などを収録。
1996年8月、イギリスのエジンバラ・フェスティパルに参加。以後、毎年参加する。
1997年1月、「高橋竹与」改め「二代目・高橋竹山」を襲名。襲名披露演奏会(ゲスト出演=初代・竹山)を渋谷ジァン・ジァンで開く。
1998年9月、二代目襲名後の初CD「三味線口説」(ディスク・ジァン・ジァン)を発表。
10月、アメリカ・ロサンゼルス、シアトルにて公演。ジャズ・フェスティバルにも参加、地元のジャズ・ミュージシャンと共演する。
2000年2月、ニューヨーク・フロム・ジャパンの招きで、アメリカ・ワシントン、ニューヨークにて公演。2枚組CD「chikuzan」を発表。
基本を大切にしながらも民謡にこだわらず、様々なジャンルの演奏家たちと共演して活動の場を広げながら、独自の音楽表現を模索。伝統にモダンな現代感覚と女性らしい繊細さを盛り込んで、全国各地をまわり演奏活動を続ける。
【参加者 自己紹介】
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