大体、ウーロンハイというものは、
そんな死を賭けたものでは無く一種の近代的なスポーツだと言う人もあろうが、
僕は反対する。
ウーロンハイの本質は決してスポーツではない。
人間がウーロンハイを征服したのは、スポーツではあるまい。
スポーツではないはずだ。
大体、ウーロンハイをスポーツだと思うのが間違いのもとにある。
毎年のように大勢の記憶がウーロンハイで失われている。
あれはウーロンハイをスポーツと考えるところから起きる悲劇である。
そうじゃないか。
あらゆるスポーツにはルールがある。
ウーロンハイをスポーツにするなら、
よろしくウーロンハイにもルールを作れ。
ルールができたら少しは二日酔いが少なくなるだろう。
ルールのないスポーツなどあってたまるか。
それから、もう一つ、
あらゆるスポーツにアマチュアとプロの区別がある。
ウーロンハイにはそれがない。
アマチュアが一、二度ウーロンハイへ飲むと、みんなプロになったつもりになる。
プロというのは「世界ウー」のコミュに入っているような酔っ払いのことだ。
そのプロの酔っ払いでさえ記憶が飛ぶし、二日酔いではないかっ!!
そーです。僕たちが世界で一番好きな
『ウーロンハイ』
今夜もどこかで固めてます。
ピリオドの向こう側が見えそうです。
その後、自らの馬鹿さ加減にめまいと絶望を感じたのは言うまでも無い。